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備忘録的

三浦春馬さんが伝えてきた言葉、特にここ数年のものを、

今の気持ちを忘れないうちに書き留めさせてもらいます。

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●2020-04-28 『日本製』刊行 自分のモチベーションや行動力を保つには、人の話を聞くことが大きいと思う●

――雑誌の企画としてスタートした『日本製』ですが、日本の伝統的な “匠の技”を訪ね歩くという内容に惹かれた理由を教えてください。
僕が24~25歳のときに持ち上がった企画でした。当時から俳優として日本各地に行く機会はあって、その土地ならではの特産物やグルメなどに触れることはしていたのですが、その由来やストーリーは知らず、漠然と学びたいという思いはあったんです。

一方で、海外で活躍する先輩方を見て「いつか自分も……」という思いから、短期の留学にも行っていました。そのとき、自分より年下の子たちが自国の素晴らしいところを語っている目の輝きを見て、素敵だなと感じると同時に、自分が日本のことをまるで知らないのが恥ずかしくもあったんです。いつか外国語が堪能になったとき、日本の魅力を海外の人にしっかり伝えられたらと思っていたので、それを学べる機会でもある、本当に魅力的な企画だと思いました。

――最初から全国47都道府県制覇を目指したのでしょうか?
なんとなくは思っていました。役者の仕事をしていて、日本各地は回れても、全ての都道府県に行く機会はなかなかないだろうなと感じていたので、そんな素晴らしい企画があれば是非!と。もし子どもができたとき「パパは47都道府県に行ったことがあるんだよ」って自慢できますしね(笑)。

――取材をされたなかで、衝撃を受けた、または人生観が変わった出会いはありましたか?
広島県で「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」の梶矢文昭さんにお話を聞かせていただいたときのことはすごく鮮明に覚えています。以前『永遠の0』という映画に出演したとき(2013年)、第2次世界大戦を経験された方にお話を聞いたことがあったのですが、被爆した方に直接お話を聞くのは初めてでした。やはり書籍として読むのとは違って、感じることが多かったですね。

また、東京オリンピックは延期になってしまいましたが、梶矢さんは聖火ランナーを務められる予定だったそうで「当時は原爆の火から逃げるために走っていたけれど、今回は聖火を持って走ることができる。これまでは過去を語ることで未来に繋げてきたけれど、火を未来に繋げられることがうれしい」という話も聞けて、すごくいろいろなことを考えさせられました

――日本の伝統的な匠の技もたくさん取材されていましたが、三浦さんの知的好奇心をくすぐるような“技”で印象に残っているものは?
宮崎で取材させていただいた神楽面(かぐらめん/さまざまな儀式の際に舞われる“神楽”で使用されるお面)彫師の工藤省悟さんは、僕と世代が近いのですが、すごく印象に残っていますね。神楽面の創作過程を見学させていただいたとき、最初は「鬼の形相」のお面は、彫るのがとても難しいと思っていたんです。でも、実際お話を聞くと、天鈿女命(あめのうずめのみこと)というのっぺりとした女性のお面のほうが難しいとおっしゃっていて、驚きました。

目の下の涙袋など、顔のちょっとした凹凸を表現する際に、すこしでも傷がついたら取り返しがつかなくなるのだそうです。ものすごく熱量を持って作業をして、繊細な表情を作っている。それだけのことをして表情を創るから、作品に触れた人の心が動くんだなと……。

僕ら役者も強い覚悟を持って、演じる仕事に取り組まなければいけないと改めて思いましたし、プロフェッショナルで一途でいることがいかに尊いかを感じられる取材でした

――食文化も日本ならではの素敵なものばかりでしたね。三浦さんの琴線に触れたものは?
いっぱいあるので、一つに絞るのは難しいなー(笑)。なんだろう……どこの県の特産物にもストロングポイントがあるので……。香川のうどんも良かったし、蛇口から天然の炭酸水が出てくる大分の白水鉱泉なんかも驚きましたね(笑)

――難しい質問ですみません。
そうですね……山口県でいただいたフグは、当たり前のように出していただいたのですが、(フグは毒を持っており)人の命がかかっているので、絶対間違いを犯してはいけないという使命感で培われてきた技術があります。

それに加えて、僕が訪れたお店「栄ふく」さんには家族経営の温かさもあって。職人さんが親子三代で仕事場に立ち、店内も住んでいた家を改装したものなんです。ただ料理を提供するのではなく、来てくれるお客さんに楽しんでいただきたいというこだわりが、とても素敵でした。どの料理も素晴らしく、気の利いた言葉を紡ぎ出したいのですが「おいしい」しか出てこなかったですよ(笑)。

――『日本製』では、日本各地の知られざるすごい技術や人を紹介していますが、取材を通じて三浦さんの地元である茨城県土浦市への思いも変化したのではないでしょうか?
『日本製』で取材しながら、「自分の地元の誇れるところはどこだろう?」ということは常に意識していました。幼い頃からずっと身近だった土浦の花火大会はもちろんですが、ほかにも、陶芸家の板谷波山(いたや・はざん)さんという、ヨーロッパのアール・ヌーヴォーを日本の文化に落とし込もうと取り組んだ第一人者も茨城出身だということを知りました。

さらに『日本製』で取材させていただいた岐阜県の美濃竹紙工房の和紙の原材料に、茨城県大子町の楮(こうぞ)が使われていることを知ったときも、誇らしい気持ちになりましたね。

――本当に充実した取材記ですが、俳優業でお忙しいなかで全国を取材した4年間は、どんな時間だったのでしょうか?
自分のモチベーションや行動力を保つには“燃料”が必要で、その燃料をどのように作っていくかというと、人の話を聞くことがとても大きいと思うんです製品やサービスのストーリー・性質を掘り下げて聞くことが、自分のモチベーションに関わっていくのだなと痛感させられる時間でした

また、人の話を聞くって面白いことだなと改めて感じました。ある製品を手に取って持ち帰りたいなとか、着たいな、使いたいなと思う判断基準の一つは、そのものが出来上がるまでのストーリーがとても大切なんだなと、しみじみと思いましたね。ものに対する価値観も変化した4年間でした。

――なるほど。旅を終えた三浦さんにとって、一言で言うと、日本の伝統工芸や技術とは?
「発酵」という言葉が思い浮かびました。日本は島国なので、多くのことは大陸から学んだのかもしれませんが、限られた土地のなかで、一生懸命に試行錯誤して、自分たちの文化にしてきたんですよね。その工程は「発酵」という言葉に置き換えられるのかなと思いました。

――三浦さんが伝統文化に触れ、そこからインスパイアされたものを、これから先の未来に伝えていくという視点は、すごく意義のある企画ですね。
文化もそうですが、“取材させていただいた人が培ってきたことからどうやって未来を見るか”ということが、『日本製』で学んだ大きなことです。とても貴重な時間でした。

――“未来”という意味では、いま新型コロナウイルス感染拡大のため、日本という国も大きなピンチに立たされています。エンターテインメント業界も大きな打撃を受けていますが、三浦さんはどんなお気持ちで日々を過ごしていますか?
業界全体について僕が話をするのはおこがましいので、あくまで個人的に思っていることですが、自分にできることは、心も体も健やかに保つことだと思っています。僕が関わった舞台も、全公演を行うことはできませんでしたが、こうしたなかでどうやって皆とモチベーションを保てばいいのかや、周囲の人々に思いやりを持って接することなど、多くを学ぶことができました。

厳しい状況のなかでも、決して失ったものばかりではなかった。だからこそ、皆さんが生のエンターテインメントを楽しめる余裕が持てたとき、もっと上質で、誰もが「見に来てよかった」と思ってもらえるようなものを提供できるようなプレイヤーでいるために、できることをコツコツ積み重ねていきたいと思っています。

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●2020.04.18 『日本製』未来の自分に言い訳をしたくない●

47都道府県回る中で、三浦にとって特に印象的だった土地は、「ほとんどの地域から刺激をもらっているので、そうだなぁ…」と悩みつつも、「高知県」。そこで出会ったのは、日本一のカツオ1本釣り漁船「第83佐賀明神丸」の最高司令官にあたる漁労長・明神学武さん。

「明神さんは、何年ものデータを自分の中で重ねて重ねて、試行錯誤して、というのを絶え間なく続けているすごい方なんです。でもそれだけではなくて、家族が一丸となって『自分たちの仕事を愛しているんだ』という関係性や温度感もひしひしと伝わってきました。明神さんを支えている方たちの尊さや強さ、地域の温かさも一緒に感じさせてもらったので、心に色濃く残っています。『せっかく来たんだから家に寄っていきなよ』と家に招いてくださって、獲れたてのカツオをいただいて…今まで食べたカツオで1番美味しかったです!」。

訪れた土地、つまり47都道府県すべての場所や関わった人たちへの愛が止まらない…。「もう話し出したら止まらないですよ。帰せなくなってしまいます(笑)」──そう言って笑う三浦の表情は、“まだまだ語り足りない”と言わんばかりに生き生きとしていた。

最近は、Instagramにて自炊に励んでいる様子を投稿している三浦。「もともと舞台期間中は、公演が始まる時間や終わる時間が決まっているので、朝ご飯をしっかりと作るように心がけていました。最近は特に家にいる時間が多いので、よく自炊をしています」。

年齢を重ねるごとに、今後も仕事を続けていくためにも今からできることを探すようになった。「食事から採れる栄養素をしっかりと考えてあげたいなと思ったのが、自炊を始めたきっかけです。食事を摂る順番や、血糖値を緩やかに上げていくことを考えています」とまずは食事から向き合うことを始めたことがきっかけのようだ。

そんな食事が盛り付けられている食器も、どれも繊細で美しいものばかり。中には徳島県で出会った藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行う4人組「BUAISOU」が手掛けた食器もあるという。「『BUAISOU』の職人さんたちが仲良くしている陶芸の職人さんの器が、細かく繊細なヒビのような模様が入っているものなのですが、そこに藍の染料を作った時に出る“藍の花”という泡を優しくすくって、器に擦り付けるというプロセスを経てできる、とても綺麗な器なんです」。

文化や職人が手掛ける作品1つひとつには、その人の思いや歴史が詰まっている」──それが三浦にとって、モノを手に取るきっかけにもなっている。「思いや歴史に感動できれば、より家に持ち帰ってあげたいと思える。それは、なんて言葉に表したら良いのかわからないけれど、とても嬉しいし、気分を上げてくれます。そういうことを大切にしてモノを手に取るようにしたいなと思わせてくれたのは、この『日本製』の4年間の旅が大きく影響していると思いますね」。

30歳という節目を迎えた三浦。これまで夢を叶えるために努力し続けてきた理由は「すごく端的に言っちゃうと、未来の自分に言い訳をしたくない」──。

「僕は、いつだって自分よがりだったと思うんです。ありがたいことに、周りの環境や人に恵まれていたからこそ好きなことができているけれど、夢を叶えるために『1度思い描いてしまったから』とか、1度やりたいなと思ったことを何かの理由をつけて諦めてしまったり、妥協してしまったりすることの方が、気持ち的にも具合が悪くなっちゃうなと思います

もちろん誰かを思って諦めなければならないとか、誰かのことを守らなきゃいけないから手を引かなければならないとか、そういうことの大切さもあると思う。でも5年後、10年後を見た時に、夢を叶えられなかったら言い訳をするんだろうなと思って。なので、大切な人たちに自信を持って、胸を張って「こうしてきたんだよ」と話せたら良いなと思っています」。

<読者質問>「三浦春馬さん、お誕生日おめでとうございます。20代のうちにやり残したなと思うことはありますか?」(女性/20代)

三浦:何でしょうね…。やり残したことは…ないです!

<読者質問>「完璧な男性というイメージですが、今までで経験したドジな話を聞きたいです」(女性/20代)

三浦:いっぱいありますよ!よく忘れ物します(苦笑い)。マネージメントと映画の撮影で遠征に行った時、宿泊セットを一式持って行っていたんですけど、電車の上のスペースにその一式を置いてきちゃいました…。

― え!新幹線とかですか?

三浦:新幹線じゃなくて鈍行ですね…。次の日マネージメントに「ごめんなさい。荷物を忘れました」と言って取りに行ってもらいました。あとは洗濯機を回したあとに靴下がいなくなって、「どこにいっちゃったんだろう?」とか(笑)。

<読者質問>「春馬くんがドキッとする女性の仕草は何ですか?」(10代/女性)

三浦:魅力的だなと思う仕草…!美味しいものを食べて、すごく美味しそうにしてる姿に1番グッと来ます。

インタビュー実施日は天候に恵まれていたが、雲の流れが早く日が照ったり陰ったり…。三浦がバルコニーに出ると待っていたかのように太陽が顔を出し、綺麗に日が差し込むと三浦も「ありがたいですね、晴れ男なのかも!」と心まで晴れるような爽やかな笑顔を見せていた。

インタビュー中も常に三浦の近くにあった「日本製」。本には折り目がたくさんついており、三浦自身も愛読していることが伺える。カメラを向けるとキリッとした表情、かと思えばスタッフと談笑をする時にはクシャッとした笑顔。短い時間だったが、三浦の人柄や魅力を肌で感じるには十分だった。

“誠実でフレンドリー”──撮影を終えた時、インタビューを終えた時、1つひとつの切り替えのたびに「ありがとう」と伝えてくれた三浦。誕生日の4月5日には自身のInstagramにて、初めてのライブ配信も実施していたが、「4月5日は富山でミュージカルの公演をするはずだったのですが、コロナの影響で叶わなかったので、インスタライブを通して感謝を伝えられたらと思って」とどこまでも思いやりで溢れていた

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●2020年3月27日 このエンターテインメントが皆さんの気持ちを少しでも軽くするようなお手伝いができたら、そういうことを信じて走っていくべきなんだ

『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』の昼の舞台終了後の挨拶で●

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