シンギュラリティ問題ーAIの基礎
高校の『論理国語』でAIを取り上げました。最近の流行りで、「AIを取り上げましょう」と勧めたのは私でしたが、何となく知っているという状態だったため、説明のため調べなければなりませんでした。
備忘録として、AIについて調べたことを以下にまとめます。
AIとはartificial intelligenceの略で、人工知能のことです。
artificialには人工の、変造の;不自然な、わざとらしい、などの意味があり、そもそも名詞形のartificeには策略、策謀、技巧、工夫という意味があります。intelligenceも知能、知恵;理解力;情報、情報機関の意味があります。
英語になると、日本語とは違う、ちょっとしたイメージが付加されますね。
昔からAIに対する不安で挙げられるのは、大きく分けて二つあります。
①AIが意志を持ち、人間を支配するのではないか?
②AIのデータが人為的に書き換えられたらどうなるか?
①は、1962年の映画『2001年宇宙の旅』で人工知能HAL9000が意志を持ち、船長を除く乗組員を殺してしまう、というエピソードがありました。ちなみに、この映画が作られた頃はアメリカとソ連の月探査の競争が始まった時期ですが、アポロ計画による有人宇宙船が初めて月面着陸したのは1969年です。
②は、現在フェイクニュースなどが問題視されています。映画では1995年に『ザ・インターネット(原題The Net)』が印象的でした。サンドラ・ブロック扮する主人公が国家機密データを友人から託されたために、データと命を狙われ、身分証明IDの個人情報を書き換えられ犯罪者として、FBIや CIAなどにも追われる、というストーリーでした。
Windows95の発売された年の映画です。
近年知られているAIの問題点としては、後二つ、次の③④が挙げられるでしょう。
③ビッグデータ 知らない間にデータが取られていて、知らない間にデータに支配されている。データ収集はアプリやネット上で行われています。また、偏差値もデータの一種です。母数が大きければ大きいほど精度が上がるとはいうものの、元データの母体が違えば単純に比較は出来ないのですが、偏差値に一喜一憂していないでしょうか?
④チャットGPT
初期、元データの偏向(男女差別・人種差別など)をそのまま投影したとして問題になりました。
現在は、現実そっくりのフェイク画像が問題になっています。
こういったことは、新聞、テレビのほか、西垣通・河島茂生『AI倫理 人工知能は「責任」を取れるのか』(中公新書ラクレ)やユバル・ノア・ハラリの『21 Lessons』(河出文庫)などに紹介されています。
ただ、最初挙げた不安の①については、AIにまだ、そういう力がない、という説と、AIが人間と同じように、意思や意志を持つようになる、という説があります。
まだそういう力が無い、とする説の根拠は、現在のAIは、ビッグデータを使って、この場合はこうする、という演繹をしているに過ぎず、簡単に言えば、真似っこしているだけで、独創性も意志もない、というわけです。
これに対して、2027〜28年頃に、AIは人間を超える、として、これをシンギュラリティ(特異点)とする説があります。
結局、生物とマシンや人工知能AIとの違いは何か?
特に、物を認識するとはどういうことか、また、意志ないしは意思を持つとはどういうことか、に尽きます。
人間の脳の仕組みを真似て、AIを作れば、それはいつか意志を持つのでしょうか。
そう言えば、前にも似たようなことを書きました。
竹宮恵子氏の『私を月まで連れてって!』の中で、アーチー作のロボット、サブリナがゴミ捨て場に捨てられていた時に、拾おうかと尋ねたおヤエさんに「サブリナ、ヨロコブ!」と答えたシーンは、AIの問題点という意味では、やっぱり画期的だったわけです。
鉄腕アトムで育った世代だから、全然違和感はないんですけれどもね。