教職志望の方へーカウンセリングについて
心理学にはとても興味があったためか、生徒たちの相談を受けたりしていたら、相談室常駐になって、いろいろ生徒の話を聴いたり、大学から派遣されてきたカウンセラーの卵を教育するはめになったりしたことがありました。
その時に、大学で習った、カウンセラーのべからず、を思い出しました。
【カウンセラーのべからず】
その頃のカウンセリングは、傾聴が主でしたが、教育心理学を教えて下さった教授曰く、
「カウンセラーにはしてはいけないことがある。
1.決めた時間を延長してはいけない。
2.会う時間を決めたら、むやみに変えてはいけない。
3.会う場所を変えてはいけない。
なぜなら、カウンセラーとクライエントという関係を壊してしまい、仕事でなくなって、依存関係ができ、つきまといなどの被害が起こるから」
教授は、実際のカウンセリングで、事情があって、うっかり喫茶店で会ってしてしまい、その後、花瓶が送られてきた、という経験談をされました。花瓶の心理学上の意味を習った後だったので、学生たちはワッと沸きました。
教授は念を押しました。「カウンセリングは会う場所を決めて、時間を限って行い、秘密厳守です」
【教員とカウンセリング】
教員はカウンセリングマインドで生徒に接するように、と言われるようになって久しいけれど、教授は、こうもおっしゃいました。
「教師は、カウンセラーにはなれない」
教員は、生徒になんらかの指示を与えなければならないので、気持ちをただ受け止めるカウンセラーにはなれないのだ、という意味です。
実際、長い間、カウンセラーのようなことを私はしてきましたが、教員生活が長いので、相手の気持ちを受け止め傾聴するよりも、つい、「正しいこと」を指摘したり、お節介にも先回り予測してアドバイスしてしまう、という癖があり、やっぱりカウンセラーと教員とは別物なんだなとつくづく感じます。
【共依存】
とてもつらくて大変な人は、同じように大変な人や、大変な経験をして共感してくれる人に依存することがあります。
相手側も、同様の状況だったら、共依存になります。
夫婦も運命共同体という面では共依存状態だとも思えるのですが、それとはちょっと違うような気がします。
太宰治の最期を思い出していただければ、わかるのではないでしょうか。
【リスカ問題】
リストカットは、ミイラ取りがミイラになることがあります。自分は大丈夫だから、と思って助けに行って、共倒れになったという話を、全く別の高校で、タイプも境遇も全く違う人たちから聞かされました。
さらには、ミイラ取りがミイラになったのを見て、回りがサーっと手を引いてしまい、当人たちが集団の中で孤立する、などの問題も起こります。
教員ならば、夏でも白の長袖シャツを着ている人がいれば、利き腕と反対側がどうなっているか、そっと観察しておくべきでしょう。何も言う必要はありません。腕が注目されていると分かっただけで、不登校もありえますので。ただ、依存したい人々なので、たいがいは自分から話してくれて、何針縫ったか自慢?して、見せてくれたりします。
【セクシャルな問題】
高校で持ち込まれる重大案件は、セクシャルな問題が多く、しかもあってはならないことが多いので、解決困難で長引きます。
真実は小説よりも奇なり、という場合もあり、被害者はだいたい話したくないし、話しても理解してもらえない、と拗らせています。むしろ、被害をベラベラ喋る場合は、すっかり壊れているので、十分注意して下さい。
何も具体的な事件を話さなくても「男嫌い」「不感症」などと言っている場合は、何らかの被害に遭ったか、問題を抱えているので、何故そう思うのか話を聞いてあげても、それについて否定的なコメントは言わない方が無難です。
女性は意にそまないセクシャルな問題に遭遇すると、極端な場合、気が狂うか、離人症になることもあり、魂の殺人とも呼ばれています。また、何ともなかったことにするために、逆(性的に奔放な方向)に走る人もいます。そこまで行かなくても、生身の男に嫌悪感を持ったりします。
普通に暮らしたい人は、何があったのか、女性は誰にも何も言いたくないでしょう。生徒の場合はなおさらです。
MeToo運動を起こした人に敬意を表します。