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国語の勉強法ってさ、

 国語の勉強法って、どこからどこまで、だろう❓

 最近、オンラインスクールや家庭教師やらしていて、自分の専門の古典より、現代文や小論文に回されることが続き、需要の違いもさることながら、自分の得意なモノって案外教えにくいと思った。

 そうしたら、smartbbさんが国語の勉強法について書かれていた。

 smartbbさんの対象にされている学生さんのレベルがかなり高いので、うーん?と思った。
 そもそも「自学」のレベルが高い。共通テストの過去問を利用しよう、は共通テストが必要なら確かにその通りだが、希望大学の共通テスト合格最低点に全く達しない場合、じゃあ、何をしたら❓ということになると思う。

 高校やオンラインスクールや家庭教師で教えていて、この数年、感じていたことは語彙の不足だ。皆、話し言葉に慣れてしまい、書き言葉が分からないようなのだ。しばしば読めないし、書けないし、意味も分かっていなかったりする。だから最初にやることは、漢字と語彙だ。
 私大入試でも、少し読書をする人なら知っているような慣用句が出題されていて、……こんな有名大学でもこんな慣用句が分からない学生に悩まされているのかしらと思ってしまう。やはり、教える時に困るような人を排除するのが入試だから。

 いつだったか、秋山虔先生の『源氏物語』(岩波新書)を読書感想文の宿題にしたら、Chat GPTで書いたとしか思えない、ブラック画面の文章をいくつも見た。文章は滑らかで、私より上手い。ただ、ブラック画面の文章は中身が揃って酷かった。

 どこからデータを取ったのか、命令文が拙かったのか、原因は分からないが、一番酷いのは、作者が清少納言になっていた。秋山虔先生の解説を読んで欲しかったのに、『源氏物語』そのもののストーリーの説明に終始していたりした。それで、ワタシのチャットGPTに対する期待は萎むを通り越して、すっかり消えてしまった。

 昔、三分の一が大学進学という中間校では「新書って何ですか?」と尋ねられたが、街中にある高校の大学進学前提の生徒たちからは、さすがに「新書って何ですか?」とは尋ねられない。でも、新書を宿題に出してもあまり読めないようなのだ。

 逆に、そう言えば、読書家は現役合格していたな、と思った。

 多分、大学側は、専門関係の新書ぐらい、せめてジュニア新書ぐらいは、軽々読めて欲しいだろうし、◯◯を専攻したいんです、というなら、その分野の新書ぐらいは読んでいて欲しいのだろうと思う。また、専門でなくても、新書ぐらいは分野関係なく、教養として、読めて欲しいのだろう。

 そうでなければ、高校の国語教科書の『論理国語』で、環境学やら哲学やらAIについての論文やらを、読む理由が分からない。ワタシ、専門は中古文学(平安時代の古文)なんだけどな、と思いながら、まあ、国語科だから仕方がないか、とAI倫理の本を読んだりする。
 そして、つくづく今は時代の変わり目なのだと思う。たぶん、Windows95が出た時以上の社会変革が起こっているのだろう。だからこそ、大学側もさまざまな論説文を出題するのだろう……と思いたい。

 環境学の時は、「英語でも読めたらいいんだけどな」と、京大の院試の英語準備で読んだ、カーの『歴史とは何か』を思い出した。せっかく英語で読んだのに、中世大航海時代のスペインの話が出題されて、がっくりした。日史だったのに。
 でもカーの『歴史とは何か』はとても役に立った。ただし、英語で読んだが何だか論がウネウネしていて途中が分からなかったので、訳本を見つけて読んだ。新書だった。

 アラ?これも、国語の範囲かしら……。

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みゆ
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