日本語指導の思い出⑤
桶谷先生はA君はダブルリミテッドだと説明した。
ダブルリミテッドがまず、どういう感じかというと、A君は、春にサッカー部に入ったものの、すぐ辞めてしまったのだが、サッカー部の連中はこう言った。「アイツ、指示出しても全然聞きよれへんねん。人が右ゆうても、無視やし!反対行くし!」「あ〜ごめんな、あの子、日本語全然あかんねん」「……そうなんや。足速いのにもったいないな。もう来やへんやろけどな」
しかし、来日八年、日本語とはいえ、何故左右がわからない?身振り手振りもあっただろうに、と思った。
前に書いたように、入学直後、コロボックル物語を読ませようとしたがダメだった。それも、コロボックルはまだ登場していなくて、「山」に説明が必要な状態で、英語の先生が言ったように、確かに気分はサリバン先生だった。
それから日本語指導の本を探してきて『みんなの日本語』をひらがなから始めた(わりと書けたが鏡文字もあった)ので、左、右、前、後ろなどを教えたのは、夏になっていたのではないかと思う。
バニアさんに来てもらう前は、三揃いを着た紳士の通訳氏にブラジル語版『みんなの日本語』で、A君に説明してもらったが、あまり分かったようではなかった。
そもそも、ブラジル人の生徒が来る、と分かった3月の時点で、私はとりあえず、日本語-ポルトガル語(日葡)とポルトガル語-日本語(葡日)の辞書を買った。二冊揃いで分厚い割に掲出語と訳語が一対一のアバウトな本だったが、とりあえず役には立った。それとNHKラジオの『くらしで使えるポルトガル語 2008年度』というテキストを買った。ポルトガル語で日本語が教えられなくても、挨拶ぐらいは相手の国の言葉でするのが、基本じゃないかと思ったからだ。
日本に八年もいて、日本語の左も右も分かってないのは困るが、『みんなの日本語』で左右を教えるに当たって、辞書に当たって確かめてみたのだが、彼はポルトガル語でも「左」「右」はあいまいだった。知らない訳ではないが、どちらがどちらか分からなくなってしまうのだ。
ドラゴンボールで「…右がお箸を持つ手だから、左は…」というシーンがあったと記憶するが、あれを上回った。
それに彼はポルトガル語が読めなかった。
だから、桶谷先生がダブルリミテッドの説明をした時、「ああ、そういうこと?」と思った。
つまり、母語で左と右という概念が確立していないので、日本語の左右の概念も定着しなかった、と私は理解した。