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家での時間を過ごすこと

道を歩いている中学生や高校生をみかけます。
その子たちが学校で過ごす時間の多くを
家で過ごす。 
そう考えるとちょっと目眩がしそうです。

時間を自由に使える、
というメリットをいかせるよう
親としては環境を整えたい所ですが
体調が悪い、
エネルギーが少ないときは
せいぜい休むことくらいしか
できません。

(いや、頭ではわかっているのです。
休むことさえできれば
いいのです。
しかし、
我が家は皆、休むことが難しく、
中学生時代は苦しい時間を過ごしていたように思います。)

社会性、体力、学力、
幸せだと感じる力…。
子どもに身につけて生きてほしいと
願うのものは
たくさんあります。
親のエゴ、課題の分離
などという言葉が頭をかすめながらも
私がなんとかしなければという
プレッシャーや恐怖のようなものが
つきまとっていました。


どうやって過ごしていたかを思い出してみる


休むってどうやって?
気分がよくなることはなんだろう?

そう思い、
子どもたちを連れて
彷徨っていました。

学校以外の居場所とつながることはできませんでした。

起立性調整障害などで、
体が動かせるのが午後過ぎているような状態では
フリースクールはしまってしまいます。
中学生活入学時は忙しくなるだろう、
と塾も習い事も行っていませんでした。

新しく何かを始める、探すことは
そもそも本人達が希望しませんでした。
行けるなら、学校に行きたいのだ、と。

学校以外のいわゆる居場所にいくことと、外出は違ったようで、
外出はよくしました。
飛行機や季節の花が見られる
あちこちの公園、
美術館、図書館、写真展、
マクドナルドやカフェ、
ショッピングモールのゲームセンターまで。
娘、息子それぞれとも行きましましたし、
二人とも連れていったこともあります。
しんどくなって途中で変更して帰ったこともあります。
単発のフラワーセラピーの講座や
図書館ボランティアを提案したりもしました。

今思うのは、
不安な私につき合ってくれてたこともあるだろうな
しんどかったかもね。
ということです。

体力や性格、エネルギーの状態によっては、
それでは全然休めていないよ!
と言われるかもしれません。

そのときの子どもたちの状況や好きなものを考えたつもりだけど、
はたしてどうだっただろう、
と思います。

子どもたちと
ゲームを一緒にやり続けてくれたのは
父親です。
息子の好きな音楽のライブに行ったのも父親。
これらの時間は、子どもたちを救っていたと思います。
ゲームの勝ち負けの不機嫌や大きな音が苦手な私は
受け止められず、逃げていました。

たまたま娘が好きなお菓子作りや料理、自然散策は私も好きで一緒にできたけれど、
そんな私の身勝手さも思い出されます。

不登校対応には
時間が必要だというけれど、
その時間をどうするか。
その時間の使い方はエネルギーが落ちた親子に委ねられる。
これはなにかのバグなのでは?
と、誰かに、何かに頼りたい気持ちで毎日過ごしました。
実際は、父親、病院の先生や心理士さん、学校の担任など周りの皆さんに支えてもらっていたのでなんとか回っていたのだと思います。
それなのに一人でやっている気になってしまうことが多かったのは、
私も病んでいた、視野が狭くなっていたのだと思います。

よかったかもしれないこと

あぁ、でも
星空観測会は娘は喜んでくれました。
同好会の人たちに
「のぞいてごらん」
「みえるかな?」
と、望遠鏡を合わせてもらい、
のぞいてみた星雲や惑星。
そんなささやかな人との関わりを
私は死守したかったのだと思います。

それに、ただつらい状態から心をそらす、
そんなことが必要なときもあります。
その部分では少しはよかったことも
あるのではないかと思います。

カメラを持って散歩に出かけ
娘と鳥などの写真をよく撮りました。
娘は
「ピントを合わせているときは
これからどうなってしまうのだろう
という不安を忘れられる」
と言ったことがあります。

親子でわけのわからない状態で
現実逃避をする時間も
必要なものだったかもしれません。

今を楽しむ境地に至るにはまだまだですが


一緒にすごす今の時間をよくしたい、そして将来につながればと欲や願いももっていました。
長い時間に何か意味を持たさずにはいられなかった気がします。

散歩先でみた美しい風景が、
寝るまえなどにふと浮かべば
悪い夢を見にくいのではと期待し、
公園で見た
自然がつくる植物の鮮やかな色や形は
ものづくりのもとになるのでは、
写真展でみた
ユニークな深海プランクトンの見た目や生態は
ゲームのキャラクターや物語を作るのに役立つのでは
と思ったりしていました。

ただただ、今を楽しんで
という本などに書いてあるアドバイス。
その境地に至るには
まだまだだなぁと思います。

このように綴っていると
思い出し、
反省し、
感謝し、
また少しだけ自分を
労いたい気持ちも
湧き出てきました。

こうやって
どうにかこうにか
日々を積み重ねていくのだと思います。




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