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アップデートは何度でも。

年末年始が、実はちょっと苦手。
仕事納めして、帰省して、大掃除して、なんだか焦ってソワソワしてしまう。誰にお願いされたわけでもないのに、駆り立てられているこの感じ。

大学生くらいまでは年末年始が待ち遠しかったのにな。クリスマスが終わり、街が一気にお正月モードに変わっていく様子や、いつもと違う豪華な料理、年末年始の特番、久しぶりに会う地元の友達。あんなにも楽しみしていたのに、今日のわたしはひたすらお家にこもってnoteを書いている。

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2024年は「私」についてとにかく考えた1年だった。転職した会社を退職し、noteを再開して、たくさんの文章に触れ、心から「好き」と感じることに向き合い、人との向き合い方も付き合い方も変わった。

失うものもあったけど、失ったもの以上に自分の心が満たされていくのを感じた。今までの私は、「手に入れる」ことばかりを考えていた。あれもこれもと欲しいものに向かってひたすら真っ直ぐに進んでいた。目標があることが素晴らしく、目標を持てば誰かが応援してくれ、それを手にいれるためには自分の時間も惜しまなかった。けれど、気づいた時には自分は何が欲しかったのかもすっかり忘れてしまっていた。あれ、おかしいな。欲しいものあったのにな。でも、立ち止まって何も得られなくなることを恐れて、きっとこの先には何か得られるものがあると信じて、見えない光を求めて暗闇の中をずっとずっと彷徨っていた。

そんな頑張りの先に得られたものは「虚無」だった。受け入れるまで、随分と時間がかかってしまったものだ。

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2024年。「立ち止まる」ことの大切さを覚えた。誰かの期待に応えることをやめ、周囲の言葉も遮断し、ひたすら自分の心の声に耳を傾けた。最初は全く何も聞こえなかったけど、徐々にかすかな囁きが聞こえてきた。そうだ、まずは「自分を満たそう」と。そして、自分を自分で満たすことができたら、その余ったエネルギーでちょっとだけ誰かのサポートができたらいいなと。それがきっと周囲にも世の中にも一番いい形だと思った。

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誰かのために頑張ることができる自分がかっこいいと思っていたけど、(ある意味、そうあられねばいけないと信じていた。)自分を置き去りにしたエネルギーはいつか枯渇し、そしていつまでも満たされない自分を埋めるためにさらに頑張ろうとする。

そんな負のループに終止符を打つのは、「立ち止まる」ということだった。
周囲のためにならなくても、理想の世界に近づけなくても、自分のために生きようと決めた。「誰のためにもならないよ」「甘く考えるな」「社会のために貢献しないと」そんな声が自分の内側から聞こえてきそうだったけど、うるさいうるさい。少なくとも私は満たされるから黙っていて欲しいと。

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「自分のために生きよう」
そう決めたら、今まで大きな間違いをしていたことに気づいてきた。優しさや理想、共感。自分の良さだと思っていたものは、自分の弱さやコンプレックスを埋めるためだったのではないのかと。誰かの境界線に侵入してしまっていたのではないかと。

冷静に考えると、なぜかふう〜と肩の力が抜けた。もう自分の外の大きな世界に期待をすることや、誰かの気持ちを勝手に察することはやめようと。

間違ったと思ったら、またスタートラインに戻ればいいし、誰も褒めてくれなくても、自分がいいと思う方法で歩いたらいい。そして、困ったときは思いっきり人に頼ればいい。

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こうやって、何度でも自分を「アップデート」させていきたい。暦が変わっても変わらなくても、いつだって自分が良いと思う方向に自分で舵をきっていきたい。行き詰まったときは立ち止まり、静かに自分を観察し、小さなアップデートを繰り返していく。そうやって人生を紡いでいけたら、もうそれだけで充分なんじゃないかと。

2025年。また新しい私に出会いたいと思う。そう思うと、何だかとてもワクワクしてきた。

2024.12.30 mugi






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