「めんどくさい」を育てない
感情とか考えとか、気づいたら水や肥料をやってしまって育つ要素があるなと思っているので、タイトルこれにした。前にも疑心暗鬼、育ててたね。
おととい書いた、圧をかけるのも「めんどくさい」を育てる結果になる。
たぶん、私が先を見通しながら物事をやるタイプだっていうのも、「めんどくさい」を育ててた。昨日とか、「めんどくさい」についてのnoteを書きたいし、解凍した肉を料理したいし、小説を読みたいし、自分の文章見返したいし、なーんてことをふわっと考えながら帰宅して、見事に何もやらずにごろごろした。そしてそのままもう面倒だから今日はやめよ…とすべてを投げ出した。
先の計画をなんだか渋滞させてしまうとすぐ手が付かず、すぐに手が付かないとすべて何もしなくなる…という見事な「めんどくさい」育てだった。
こんなふうに、計画を立てるときには気を付けないと「めんどくさい」を育ててしまうところがある。仕事が忙しくていろいろな物事をやらなくてはならないときとか、何もできずに急ぎではないことをやってしまうことが、昔はたびたびあった。どうにか締切をオーバーしつつも取り組んだけども。
だから「めんどくさい」はまだ着手していないものを横並びにただ並べたり、終わりが見えない感じの量にしてしまうと発生しやすい。なのに私は予定を立てるのが好きなので、予定を立てる。そして最後まで行きつく時間の遠さにうんざりして、予定外のことをやってしまう。その繰り返し。
たぶんどっかで、ちゃんと予定通りやらねばがあった。それが圧になって、ますます「めんどくさい」を育ててた。
「めんどくさい」が楽になったのは、やっぱりルーティーンで、終わりが見えることをやるようになったのがあるかも。果てしなくきりがないと思い込んでいた予定が、割と具体的な時間になった。
それに、「今ここ」に集中することが前よりうまくなった。
「めんどくさい」が育つとき、私の意識は「今ここ」ではなく、別の空間や時間にとんでいた。その先できりのない無限のハードルを見ていた。そりゃーめんどうにもなる。
ただ、実際「今ここ」に戻ってみれば、身体は1つしかなく、意識もまず始められるのは1つだ。たとえ動画を見つつ料理をしようと、動画の再生ボタンを押してからじゃなきゃ、料理の支度は取り掛かれないように、始まりは1個ずつしか始めない。だから、一度にたくさんのことが浮かんだとき、まず最初の1つを決めて、そこに意識を集中させるか、とにかくその最初の1つを初めてしまう。今日だったら帰宅してまずすぐに食べられるごはんだけを食べ、それから主菜を作り始めた。そうしたらその後は比較的スムーズで、ひととり物事は済ませられた。
1個ずつ取り組んでいくと、少なくとも想像していたよりはハードルがずっと低いことに驚く。どんだけ面倒くさいと想定したんだか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?