「めんどくさい」と仲良くなる
いつからか、「めんどくさい」と戦うことが増えた。一人暮らしを始めた直後のほうが「めんどくさい」とは思わず洗い物したり料理したり洗濯したりしてた気がするんだけども。気づいたら家事全般で「めんどくさい」が発生するようになった。
私はどちらかというと、めんどくさがりやだと思う。慣れないことをやらなきゃいけなくなると、昔から「めんどくさい~めんどくさいよ~~~」とぼやいては、母にどうせやらなきゃいけないんだから言わずにやりなさいよとツッコミを入れられた。言わなきゃやってられないんだから!!!と毎度言い返しては、結局ずっとめんどくさい~~とは言い続けてた。
運動と掃除は実家にいたころから面倒くさくて、めんどいめんどい~と言いつつ本当に何もやらなかったりした。
でも一人暮らしをしたらやらなきゃいけないことが増えるから、掃除はともかく料理とか洗濯はまだやってた気がするんだけど。というか、やるのが当たり前だと思っていたので気にしていなかったのに、気づいてしまった。料理、面倒くさいしコンビニで買ったほうが早いぞ、と。
稀にしか行ってなかったコンビニにほぼ毎日寄って帰るようになり、なおさら料理のハードルはあがり面倒くささは増え、夜にシャワーを浴びるのも面倒くさくなって動きたくなくなり、ひたすらごろごろして、もうごろごろしたいのがやりたいわけではないんだけど、面倒くさい感じが強くて何もしたくなかった。それぐらい面倒くさいがものすごく強くなった。
……これ、今思うと最大限面倒くさかったのって元同僚と仕事してたころと被っていたから、わりと自分と相手がこじれてたのがまんまメンタルにきてたのでは…??? もう面倒くさがりだしやりたくないし、ちょうど絵を描くのにはまっていたころだったから、家事する時間があったら絵もかきたくて、単に私自身がダメでやる気がないだけなんだと思っていたけど、違うのでは? 普通にメンタルにきてたから、せめてドはまりしてた絵を描くことで相殺してないとやってられず、他のことなんてできるわけもなかった、というやつでは……あら……???
note書いてるうちに新たな仮説が出てきちゃったけど、まぁようは、面倒くさいがちょっと前はめっちゃ強かった。
それが、ふと最近は日によって「めんどくさい」の強さが違うことに気が付いた。というかいないときすらある。お前いないこと、あるんだ…?と驚き。今日もわりといない日で、帰ってきてからスルーっと洗い物してスルーっと運動した。
たぶん、ルーティーンを組むようになったのが1つ楽になった要因。一度初めてしまえば、わりとつるーっと一通り終わりまで行ける。同時に、ルーティーンに乗るときに、小さい「めんどくさい」ぐらいは、まぁまぁ初めて見ようぜ、始めたらなんか変わるかもよ、となだめられるようになったのもあるし、その時によって、「めんどくさい」!!!が強硬に主張する前に、よし今だ!!とさっさと動いてしまってみることもある。
このとき、私は別に「めんどくさい」を消そうともしていないし押さえつけようとするきもない。ただちょっと油断してる隙に横をすり抜ける、みたいな感覚で動いている。少なくとも、数年前より「めんどくさい」とは格段に仲良くなった。
「めんどくさい」ものは「めんどくさい」のだと母に言いつつ、結局私は「めんどくさい」を敵だと思ってきた気がする。感じると邪魔なもので、もうむりやり強行突破するしかないもの。するしかないのは何ともできないから、ぶーぶー文句たれつつ真っ向から強行突破をしていた。
それが仲良くなってみれば別に邪魔なものではなく、敵対して勝つか負けるか、という枠にとらわれていたからこそ、邪魔なものになっていただけだった。もっと言うなら「めんどくさい」を邪魔なものにしていたのは、私自身の「料理をするべき」とか「運動をするべき」という押しつけの常識だった。そんなもの私自身がどうしたいか好きににすればいい、と思った時点でだいぶ緩んだ。明確に「めんどくさい」が出てくる1つの機会が、賞味期限の迫った食材があるときに、料理しなければ、と思ったときだからつくづくわかりやすい。
自分に圧をかけなきゃ、多分「めんどくさい」とは仲良くしやすい。まぁ圧かけない、っていうのがそもそも難しいんだけども。やっといたほうがいいこと、どうしたって圧かかるじゃん。それなのに圧かかんない状態のほうが、さくーっとやっておけるの、ままならないなぁ。
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