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会釈の力

私は大きなターミナル駅で毎朝乗換をするので、前から歩いてくる人、横から歩いてくる人とぶつかりそうになる。

当然、ぶつからないように避けるのだが、タイミングが合わなかったりするとぶつかりそうになる。

ぶつかりそうになってギリギリで向こうに避けてもらったりした時には、私は必ず会釈をするようにしている。逆にギリギリでこっちが避けることもよくあるが、そういう時に相手が何もせずに通り過ぎるとその相手が「向こうが避けて当然」と思っているのではないかと一瞬ムカッとする。若干大人気ないが、ムカッとする感情が湧いてきてしまうのは仕方がない。
ただ、自分が避けてもらった時は必ず会釈をするようにしようと思っている。

よく考えると、会釈のおかげで相手の感情が収まっているケースはかなり多いのではないかと推測する。
私だけなのだろうか、かなり強引にフザケた身なりのニイちゃんが横から入ってきても「思ったよりちゃんとしてるな」と感じてしまう気がする。

これはやはり、少なくとも相手の感情を慮って、ちょっとでも「悪いことをしたな」と感じているように見えるからなのだろう。よく考えれば何とも手軽な表現である。
車のハザードランプも同じで、渋滞している時に自分の前に車が合流してくると、これまたイラッとするが、ハザードランプをチカチカされると不思議と心が落ち着く。
そういう自分の経験もあってか、自分は車線変更を若干無理目なタイミングで行う際は必ずハザードランプでのお礼を乱発する。

会釈の力は強力だ。

会釈というのは仏教用語らしい。
異説を相互に照合し、その根本にある真義を明らかにすることを「和会通釈(わえつうしゃく)」と呼び「会釈」と省略しているとのこと。
要は方向性の違う物を本質まで遡って整合させることが会釈の本来の意味だということだ。
まさに冒頭の駅のシーンである、ぶつかりそうなところを丸く収めるというニュアンスを感じ取ることができる。

ちなみに、海外で会釈は通用するのだろうか。
基本的に海外ではあいさつは握手だったりハグだったりが多いようで会釈も含めたお辞儀をする文化はあまりなさそうである。
ただ、会釈が好意を表していることは理解できるようで、わざわざバイクを止めて笑顔を返してくれた、なんて話もあった。
逆にすぐに頭を下げる日本人には違和感を感じるなんて外国人の意見もあるので、不自然ではあるようですね。

というわけで私は日本人相手であれば会釈をフルに活用して、コミュニケーションをうまくとっていきたいと思います。

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