インプット病の私がアウトプットに目覚めた朝(そうしている今も本を買っているが)
今まで幾度となく、「アウトプットをしないと」と思ってきた。
が、まともにアウトプットに取り組むことはなかった。それが今回は、具体的に文章を書いてみている。何が今までと違うのだろう。自分でもはっきりはわからないが、今までより課題認識が明確なのは確かだ。
そもそも自分はインプットに偏りすぎ。8割インプットでアウトプットは2割。アウトプットをする場は仕事くらいである。
そのせいなのかはわからないが、最近、頭が整理されていないと感じることが多い。
そこで、文章としてアウトプットすることで思考が整理される。情報が繋がる。と信じている。
こう思うようになったきっかけは、社会派ブロガーのちきりんさんの本「自分のアタマで考えよう」で、「頭の回転が早いと思われている人は『思考の棚』が多い」という話を聞いて妙に納得してしまったからだ。
とっさに気の利いたことを言える人は、頭の回転が早いのではなくて、すでに思考の棚が出来上がっていて、その棚にハマるピースが入ったのだと。
もともと似たようなことを思っていたこともあって、整理された思考の棚を充実させたいと考えたのだ。
また、整理されるのに加えて、物事を深く理解するためでもある。最近、自分の浅さに嫌気がさすことが多い。本を読むのは習慣になっているので、インプットは日常的にやっているし、しっかり理解するために何度も同じ本を読んだり、類書を読んだりもする。でも理解が浅いのだ。私はもう40も過ぎているので、それなりに深い知識があってもいいものだが、社会人2年目かのような浅さで物を語ってしまうのだ。そんな私でも、わからない論点を調べながら文章を書くので知識が深くなる。と信じている。
あとは、自分が死ぬ時にインプット記録だけでなく、アウトプット記録も残したいという思いもある。蔵書がたくさんあるのも憧れるが、それらのインプットから、この人はどういうことをアウトプットしてきたのかを、最期の時に見てもらいたい。お葬式で故人の俳句とかが置かれていることがあるけど、同じ感覚だろう。
このような課題認識があって、今回アウトプットを始めている。果たして続くのだろうか。