今日は飛べると思ったら/兎の中の人
高いところが苦手だ。
本当に小さかったころ、家族でとある山へハイキングへ行った先で崖の手すりで遊んでいる時に落ちそうになったのが、おそらくキッカケだろうと思う。
私自身は覚えてはない記憶だが、何度も母から聞かされていた。
あのとき、母が助けてくれなかったら私は今、ここにはいないといっていいだろう。
絶叫系はもちろん、観覧車も乗った後で後悔することがあるくらいだ。
そもそも後悔するなら乗るなよって話だが、その場の雰囲気とかノリとかテンションで『行けるー』と、自分自身もなってしまうのだ。
一緒にいった人は悪くない。『行ける』となぜか確信してしまった私が1000%悪いのだ。
実はショッピングモールによくある下の階まで見えるおしゃれな透明なフェンスすら近くに行くと怖く感じる時もある。
小さいころからだが、高いとこから下を見下ろすと『ここから落ちたら死ぬな』と、いう恐怖を感じる。
経験したはずはないのだが、落ちてどうなるという景色が見えてしまい立っていられなくなるのだ。
だが、大人になってからときどきこの高さが怖くなくなる時があることに気付いた。
下を見なければとか、気付かなくてなどの理由も確かにある。
そんな時は気が付いたときに「わっ!」となるので、やっぱりその時は怖いのだ。
でもそんな理由でなく、明らかにいつもなら怖いと思う高さから下をのぞき込んでも全然平気なときなあるのだ。
そう思うときは『あ、今日は飛べるな』と、感じているのに最近気が付いた。
フェンスや策などを乗り越えても大丈夫な自分が見えるのである。
駅のホームで線路に吸い込まれそうになるあの感覚に似ているのだ。
もちろん、どちらもやったりはしないが。
こういう感覚はきっと私だけじゃなく、他にも感じている人がいるのではないだろうか。
形が違えど、過食とか拒食とかも似ているのかもしれない。
ただ気付いた以上、怖いと思うとき以上に気をつけなきゃいけない気がする。
自分の『何か』が『いつもと違う』のが分かるのだ。
その『何か』は分からないが、例えば心が壊れかかっていたり、身体が悲鳴をあげていたり、他にも何か理由があるのだと思う。
何かしらの理由があって、無理をしているのに気が付いたときは少しやり方を変えてみたりするのがいいのかもしれない。
少し運動してみる。少し考え方を変えてみる。少しだけ人との距離を変えてみる。
今やっていることを一度、やめてみる。
小さなことでも始めてみると、『何か』が『いつもと同じ』に少しでも戻る気がする。
だから私は苦手なのにも関わらず、ふとした時に高いところから地面を見下ろして自分の調子を確認するのだ。