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周りに流れるのも才能だし、立ち止まるのも才能
どうも、一休誰絵です。ご無沙汰しております。
というのも、最近は京都だの長野だのインドだの、あらゆるところへ逃避行していたので更新が止まっておりました。いつかの機会にまた記事にできたらと思います。なかなか癖の強い国でした、インド。
今回は、読書感想でもなく、何かの旅行記でもなく。ふと最近思ったことを書き殴ろうと思います。
最近、アルバイト先など大人の方々や友人によく言われるのが、
「思い切って休学して、自分が本当にしたいことをじっくり立ち止まって考えるなんて偉いよ」
ということ。
私からすると、「いやそんなことないですよ…」とついつい言ってしまうのですが、自分の選んだ道は周りから見ても間違いのようには思われていなかったことに、安心感を覚えているのです。
でも「就職活動をしていたあのとき、うまいこと世の中に流されていた方があれこれ悩まなくてもよかったのでは」とも思ったり。
世間的には、周りに流されるのはいけないことだ、という雰囲気はありますよね。でも私は周りに流されることができなかった。そのせいで、「よく考えているね」とは言われる。けれど周りに流されることができない私にとって、今後社会に出る時に、理不尽なことに対して真面目に悩んでしまうのではないか、という大きな不安を背負っているのです。
これも考えすぎですかね。
ただ一つ言えることは、「周りに流されるのも、一種の才能」ということ。流されない生き方がかっこいいなんて思わないでほしいです。流されることができない辛さもあるのです。
という深夜のつぶやきを残しておきます。