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役に立たない受験体験記④〜20数年前、1浪で受験失敗、その後進路は…?

1年の浪人生活を経て、受験に完全敗北…。
燃えカスになっていた私を見ていられなかったのか、とうとう母がびっくりするようなことを言ってきた。

「留学はどう?」

どう?って言われても、海外留学なんぞ微塵も考えたこともなければ、そんな選択肢があったことすら想像していなかった。

新聞の片隅にある「9月から 4年制大学 正規留学」の広告を見せられて、「説明会に行ってみない?」と打診された。当時、私の頭の中は「無」だったので、言われるがまま、とりあえず両親と共にその広告を出していた留学機関の説明会へ行くこととなった。

当日、我々家族を担当してくれたアドバイザーのMさんは、ロングのウェーブヘアでどことなく南国の雰囲気漂うステキな女性で、物腰柔らかいながらもしっかりと相談に乗ってくれるバイリンガルだった。脳内「無」の私はただボーッとそこにいただけだったので、話を聞くのはほぼ両親だったのだが、「彼女は頼りになりそうだ!」と2人ともすっかりMさんを気に入り、Mさんもその留学機関出身とのことで安心した様子だった。
私も話を聞いているうちに予備校で2浪するより良さそうかな…と思い始めていたが、その日は一旦持ち帰り、再び家族会議することになった。

一軒だけ見て決めるのも…ということで、後日、留学を斡旋してくれる外国語専門学校の説明会にも参加してみた。父が会社を半日休んで付き添ってくれた。
そこではまず、提携大学の提示するTOEFLの点数を取るために、専門学校に通って勉強しなければならない。要はその点数が取れるまでは留学はできない、ということだ。一般的にはそれが普通の留学のルートだけれど、それではまたいつ留学できるのかわからない。点数に達する前に決意が揺らぐ可能性は大いにある。
とにかく留学すると決めたなら、早い方がいいというのは両親も私も一致していたため、やはり先に行った留学機関にお世話になり、その年の9月から大学生になることに決めた。

留学機関の正式な申し込みの日、両親ともに仕事を休んで、家族3人で阿佐ヶ谷にあったオフィスへ向かった。丸ノ内線に乗り換えるため、新宿駅に着くと、地下鉄が止まっていてしばらく立ち往生をくらった。当時、ちょいちょいニュースになっていた不発弾でもまた見つかったんじゃないの?などと呑気に話しながら運転再開を待った。
おそらく少しオフィス到着が遅れたかもしれないが、予定通り留学機関の入学手続きを済ませ、提携校の中からどこの大学に行くかも決めて、なんとか無事、進路が決まった。
おめでとう!!
やっと家族全員がほっとした気持ちで帰宅し、テレビをつけると、世の中は大変なことになっていた。

その日は地下鉄サリン事件、まさにその日だった。

当の丸ノ内線も危なかったのだが、いつもなら日比谷線を使い築地の職場に通っていた母が、偶然私の付き添いでその日は仕事を休んでいたのは不幸中の幸いであった。築地駅周辺の様子をテレビで見て血の気が引いた。

予想だにしない、天と地が同時にやって来たような、なんとも忘れ難い一日となった。

……

何はともあれ私の進路が決まった。
後日、浪人生活を共にした戦友とともに、お世話になったYゼミの英語の先生のもとに挨拶に行った。その戦友は第一志望合格とはならなかったものの、無事大学進学が決まった。
先生は私に「力が及ばず申し訳ない…」と言った。先生にそんなことを言わせてしまった自分こそ申し訳ない…と思ったが、そう言ってもらえるくらい頑張ったんだな、とも思えた。
先生に出会えたおかげで英語が得意になって、留学を決めることができたのだ、と感謝の気持ちを伝えると、先生自身は留学経験が無いから羨ましいよ…、がんばれ!と言ってもらえた。
後にその戦友から先生が講師室のスタッフのお姉さんと結婚したらしいことを聞いたのだが、私は勝手に、先生は飛行機の客室乗務員とか女子アナとかと結婚するものと思っていたので、なんだか拍子抜けしてしまい(←失礼だな。苦笑)、失恋半分、ガッカリ半分な「ふーん。。」しか出てこなかった。
ただ、もうこれで何一つ思い残すことなくアメリカに行けるな…と、完全に吹っ切れた。

ついに、長かった私の大学受験生活はようやく幕を閉じることができた。

お疲れ様。

(留学体験記へ続く…)

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