ミュージカル「ルードヴィヒ」を観て思う、親子の確執と保ちたい距離感
(※まだ公演中ですが、多少のネタバレを含みますのでご了承ください。)
まずは少し観劇後の感想から。
クラシック音楽好きであり中村倫也さんのファンでもある私にとって、今回の「ルードヴィヒ」はこの上なく胸熱な演目でした。
11月7日、12日(マチネー)と東京公演を2回観に行ってきました。12日の公演は7日に観た時よりもまさに「圧倒的」という言葉がしっくりくる感じで、倫也さんは衣装以外特にベートーヴェン(の肖像画)に姿形を寄せている訳ではないのに、ルードヴィヒという人物が確かにそこに生きてるように感じられて不思議な感覚になりました。
倫也さんがこんな本格的に歌うのを初めて聴きましたが、ミュージカル女優である木下晴香ちゃんと互角に歌い合って全く引けを取らないのにまず感動しました。これまで聴いた倫也さんの歌声は高音が印象的でしたが、今回は低音の歌声も気持ち良く響いて、とてもセクシーでしたし、こんな声で歌えるなんて知らなかった!!と震えました。
晴香ちゃんもジャスミン(実写版映画「アラジン」吹き替え)の時とは違ってもう少し大人な女性の声で歌っておられたので、倫也さんとの掛け合いは時に官能的にも思えましたし、福士誠治さんとはお2人の声質がとても良くブレンドされていて、迫力が何倍にもなり鳥肌モノでした。子役の高畑くんとアンナちゃんの清らかなソプラノもスンと空気中を貫いて、心が洗われるようでした…。
音楽もピアノが生演奏だったのがまず嬉しかったし、オケパートも生バイオリン&チェロが一緒に弾いてくれていたのがとても良かったです。やはり生音が入ると全然違うので…。
そして、ストーリーテラー的役割も担う、ルードヴィヒの弟子になりかけたというピアノ弾きの青年が、最後にシューベルトだったとわかった時、うわぁ…そうだったのか…!!となんともエモーショナルな気持ちになり、またそこで流れる彼の曲の美しく優しいメロディに泣きました。
ストーリーは思ってたよりもずっとルードヴィヒの人間的な部分にフォーカスされており、本人は苦悩の人生だっただろうから面白いと言っていいか分からないけど、面白かったです。
ここからは観劇しながら登場人物たちと自分の気持ちがオーバーラップした部分を語ります…。
◇ルードヴィヒが好意を寄せていたと思われるマリーという女性について。
「女が建築家を目指すなんて馬鹿げている!」と思われていた時代に生きていた彼女は、男装することで初めて海外を自由に渡り歩くことができ、建築について学ぶことができたという。
私はアメリカ留学していた頃、最初に住んだ町が田舎の白人社会というある意味閉鎖的な環境だったのもあり、町ですれ違う子供や学部の先輩からも時々差別的用語を言われたことがありました。(幸い自分の英語のリスニング力の低さのおかげで、傷は浅く済んだのですが…。) そんなこともあって、心のどこかではいつも「アメリカ人になめられてたまるか!」と戦闘モードでいなければならず、そういう意味ではマリーとやや似たマインドを感じました。
彼女はもう少し後の時代なら、ショパンの恋人、ジョルジュ・サンドのように素性を隠さずとも、もっと奔放に生きられたかも知れなかったのに…と気の毒に思いました。
それにしても、偉大な作曲家というのは男前女子に惹かれがちなのだろうか…?笑
◇聴力が失われつつあることに自暴自棄になっていたルードヴィヒ。
絶望のあまり2度自死を試みるが、マリーの偶然の登場により、2度とも阻止される。そこで初めてルードヴィヒは、聴こえなくなっても自分の内側には素晴らしい音楽が溢れ出ているのに、絶望のあまり全く耳を傾けようとしなかった…、聴力を失ったのはその代償だったのだと気付く。そして再び音楽をやり始めた。
ルードヴィヒにおいては、神様はそこまで酷なことを強いる必要があったのか…?とも思うけれど、、天才じゃなくても、身体的ハンディキャップを負わなくても、自分の内側に向き合わざるを得なくなることはあります。(先日観たばかりの実写版映画「耳をすませば」もそんなテーマだったなぁ…と思ったりもしました。)
自分の中に沸き起こる様々な不満の要因を外側に見つけようとしてる間はそこから先には進めなくて、結局全ての答えは自分の中にあると気付く必要があります。
私もとても長い間、自分の内側の声を無視し続けたまま生きてきてしまった人間なので、自分の中にすでにあるものを信用するということがなかなか理解できませんでした。今でもまだ度々モヤモヤが湧いてきては、その都度「周りは関係ない、自分がどうしたいかだ!」と言い聞かせる日々です。それでもわからなくなる時は「明日死んでしまうとしたら、私はどうしたい??」と自問自答して、結果にこだわらず、まず自分の心に従ってやってみる…ということを今は自分に課しています。小さな小さなチャレンジを繰り返して、少しずつ生きる気力を取り戻してきているように思っています。
◇甥っ子のカールを溺愛するあまり、毒親になってしまったルードヴィヒ。
自分も厳しすぎる父親に育てられて辛い思いをしたにも関わらず、結局カールにも毒親(叔父)っぷりを発揮してしまう。
カールがなけなしの自信を奮い起こして、一生懸命書いた自作のソナタに、ルードヴィヒが容赦なく手を加えるシーンがあります。 ここをこうしたらもっと素晴らしい作品になる!という親心からだというのは理解できます。でも、プロである親の手によって少しでも手を加えられた者の気持ちは…。そうされることで絶望的に全てのやる気を削がれるのを私も経験したことがあります。
私の場合は美大卒の両親(父はデザイナー)からだったのですが、私は小学校の低学年の頃は、学校の写生大会で賞をもらえたりもして、絵を描くことが嫌いではなかったと思います。でも、高学年になって、学校の展覧会に出す課題の絵を家に持ち帰って仕上げていた時、私が「出来た!」と思ったところに、母の提案で父が白い絵の具でちょんちょんとハイライトを入れたのです。そんなほんの些細なことだけど、そのプロの技によって見違えるようになってしまった絵を見て、私は泣きました。その絵はとても上手に見えるけど、これでまた私の絵では無くなってしまった…と。(今思い返しても泣けるほど悔しいです。笑)「また」と書いたのは、そういうことはそれが初めてでは無くて、過去に何度もあったからです。
親は私に絵の方向に進んでもそこそこやって行けると思うよ?みたいなことを常々言っていたけれど、私はその時に「絶対に絵の道には進まない!」と強く決心して、音楽を選んだという経緯があります。
(ですが、ピアノを習いたかったのに習えなかったらしい母は、私にピアノをやらせることにも一生懸命すぎました。親とは違う道を選んだのに、どっちみち私はとても窮屈でした…。詳細は別途こちらの記事に↓)
ルードヴィヒのカールへの束縛もすごかったけれど、私も一人っ子だったせいもあり、特に母からとても厳しくされていました。
「好きにしなさい」と言う割には全く好きにさせてもらえず、何かやろうとすると「お前にできるわけない!」とまず否定されました。毎度毎度それが繰り返されると、もう自ら「〜したい」と言葉を発するのが怖くなり、私は黙り込んでしまうようになりました。すると母はますますヒートアップして、「黙ってないでなんとか言いなさい!!」と怒鳴ります。その圧で私はさらに言葉が喉に詰まり、代わりに涙が出てくると、「それは何の涙なの?泣きたいのはこっちよ!!」とまた怒られました。
当時父は仕事柄、帰りが0時を回ることが多かったので、母と私のこの辛辣なやりとりを途中で止めてくれる人はいません。
ルードヴィヒとカール、2人きりの激しい争いのシーンを見ていて、私は10代の頃の自分を思い出さずにはいられませんでした。
今となっては、父から専業主婦を強いられていた母がただただ私に一生懸命だったというのは理解できます。高校生くらいの頃からそれはうっすらと理解できていました。でも、だからこそ逆に、自分が本当に言いたいことをさらにどこまでも我慢してしまうようになっていたかもしれません。
主に進路についてですが、事あるごとに激しくけしかけられて、やっとの思いで私が重たい口を開いても、「そんなのお前にできる訳がない!」とまず一刀両断されてしまう…というパターンは私が会社員になってもずっと変わりませんでした。
もうこれはきっと私が自ら命を絶つか、向こうが先に死ぬか…そこまで行かないと終わらないかもしれない…と思っていました。だからカールが苦しみのあまり自死を試みた時、まあそうなるよね…と、悲しみよりもシンパシーを感じました。
私の場合は自分が本当にやりたいことがずっとわからないままだったから、親に対する主張が弱かったかもしれないのですが、カールには軍人になりたいというはっきりした意志がありました。その上相手は実の親ではなく、さらに天才作曲家として世に名前が知られていた人物。きっと私なんかの想像を絶するほどの不自由さを感じていたのではないかと思います。
とはいえ私も、30代中盤くらいの頃、にっちもさっちも行かない自分の状況に疲れ果て、毎日「しにたい…」と思っていた時期がありました。
とにかく親に文句を言わせたくない一心で、これまでずーっと休まず頑張って来たのに、一度も褒められないし認めてもらえない。たまにしか会わないのに、顔を合わせれば文句ばかり言われる。もういちいち反論するのも疲れる。しまいにはもう吐き気がしそうになるほどになっていました。恋愛もしたいのに男性とのお付き合いもいつも全くうまく行かなくて、どこにも心の休まる場所がありませんでした。
そんな感じで心身ともに酷くボロボロになっていた頃は、仕事帰りに乗り換えの駅のホームでしばらくぼーっと空(くう)を見つめてベンチに座り、混んだ電車に乗る踏ん切りがつかずに何本も電車を見送り、ようやく立ち上がれば背後から入線してくる電車の方へふと吸い込まれそうになるのを自制しつつ、やっと諦めて帰宅する…といった日々もありました。
でも、そこまで苦しんでいたにも関わらず、やっぱりどうしても「親より先に死んではいけない」という思いは拭いきれず、それがかろうじてあらぬ方向への暴走を止めるブレーキになっていました。形がどうであれ、両親からただならぬ愛情を注いでもらっていたことを心のどこかでは理解していたからだと思います。実際振り返れば良い思い出、楽しかった思い出もあったわけで…。
そこで私は結局死ねないなら、出家するか、修道女になるか…?と調べたりもしました。ただ、出家すると2度と恋ができないかもしれないという俗世への未練(笑)と、シスターになるには年齢制限がアウトだったので、その道は現実的ではないと諦めました。そして、親、実家になるべく近づかないことで自分の心身を守りました。
カールもまさに瀕死の状態でルードヴィヒの元をやっと離れ、なりたかった軍人になった訳ですが、未遂で助かって、そして逃げることができて本当に良かったと思いました。同時に、たとえ歪な形だったとしても、あれだけ溺愛され、かの"ベートーヴェン"から直々に音楽の英才教育を受けていたという事実は、カールの心の中にも憎しみだけじゃない何かを遺していたのではないかとも勝手に思っています。
軍隊の中にいても、頼まれれば仲間たちとの気分転換や心の癒しのために、ピアノを弾いていたりすることくらいはあったかもしれない…と想像したりもします。
◇カールが出て行ってしまった後、これまで自分がしてきたカールへの態度をようやく反省することができたルードヴィヒ。
体調の悪化でもう先が長くないと悟った彼は、その反省の念をマリー宛の手紙に綴っていました。
私も病床の母に何度か謝られたことがありました。母は気付いた時にはすでに末期のがんで、即入院。そこから約2ヶ月間、私は仕事を時短にしてもらい、毎日帰りに病院へ見舞いに通っていたのですが、その時何度か「ごめんね…」と言われたことがありました。私としては、何に対するごめんなのか、それにいまさら何…という気持ちで、ほろほろと泣けてしまいました。母から謝られるなんてことは初めてで戸惑いましたし、急にそこまで弱った母をどう受け入れていいかわからなかったのもあります。ですが、なぜかわからないけど、「ごめん」と言われるより「ありがとう」と言われたかったな…とも思いました。
母の最期を看取った時、闘病も母娘の争いも含め、やっと全ての闘いが終わった…というような感覚でした。互いにやり切った…と思えるような。悲しいとは違う感覚でしたが、そういう意味では、それほどまで私に精神的自立を促してくれた母に感謝しています。(父に関しては急すぎて死に目に会えなかったので、何か私に言いたかったこともあったんじゃなかろうか…と10年近く経った今初めてそんなことを思います。笑)
長い間続いたこの親子のいがみ合いはいったい何だったんだろう…。今となっては、ものすごい大量な時間と労力の無駄遣いだったなぁ…と思ったりもします。でも先日、「ご先祖さまから伝えたいこと」みたいなテーマのカードリーディング(占い)動画を観ていて、「今まで辛いことがたくさんあったかもしれないけど、それはこれから受け取るたくさんの奇跡や幸せを何倍にも感じられるようにするための布石だったんだよ…」と、そんなような内容の言葉に出会い、ひどく感銘を受けたので、きっとそういうことなんだ…と思うことにしました。
母が逝って7〜8年経ちますが、最近やっとこれまでの自分の過去を切り離し、それを第三者的に見られるようになってきたと感じています。だからなのかもしれませんが、私はこの作品を観劇した後、とても清々しい気持ちになったのです。ルードヴィヒ、そして彼に関わった人々と、自分のこれまでの状況を重ねて、「みんな本当にお疲れ様でした!!」とスッキリした気持ちになれたのです。
おそらく5年前だったらまだそんな心境に至ることはなかったと思うので、今この作品に出会えたことに意味があったと感じます。
余談になりますが、私は生まれて来た子に絶対に自分のような思いをさせたくないと、若い頃からずっとそう強く思っていたので、子供が欲しいと望んだことがありませんでした。人並みに結婚・出産したいとなんとなく口ではそう言ってた時期もありましたが、本心ではなかったと思いますし、うっかりそうなるような事もありませんでした。今は子供を望める年齢ではなくなったので、内心少しホッとしている部分もあります(←そもそも相手も居ないのに要らぬ心配なのですが…笑)。同時に、私はその尊い権利を放棄してしまった…という気持ちもあり、結婚、出産、そして家事もお仕事もされているママさん達を本当にすごい…と尊敬しています。
私のような独り者が口先で言うのは簡単で無責任だと思うけど、一生懸命だからこそ親子関係が拗れることも時にはあるかもしれないのですが、子供たちはどうかみんな幸せであって欲しいと思うし、この世に生まれてきて良かったと思えるようであって欲しいな…と切に願っています。
そして私自身もこれから先、「生まれてきて良かった」と思える人生にして行こうと思っています。