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エンタメとともに生きる〜私の推しヒストリー②

前回の①では人生で初めて好きになったピンクレディーについて触れた。
つい先ほどWikipediaを読んでいて知ったが、ピンクレディーってアメリカデビューしてたんだ…知らなかった。。

解散が1980年9月1日ということは、私は幼稚園の年長さんのころ。解散コンサートの様子はテレビのワイドショーみたいので観たような記憶がぼんやりあるけど、その頃はもうあまり興味が無かった気がする。。

🪩聖子、明菜、チェッカーズが現れるまでの数年は…?(81〜83年頃)

次は小学校に上がってからの話になる。
チェッカーズを知ったのは小学校の1〜2年だと思っていたのに、「ギザギザハートの子守唄」のリリースが83年9月だから、この時私はもう3年生だ。
じゃあ1〜2年の頃は誰が好きだったんだろう…?と思い、1981年のヒット曲をちょっと調べてみた。

五輪真弓さんの「恋人よ」は私が学校から帰ると時々母が結構な爆音でレコードを聴いてた事があったのを覚えている…(←何かあったんだろうか…笑)

あとはトシちゃん、マッチ、聖子ちゃん…そして永遠に1位に君臨していた寺尾聰さんの「ルビーの指環」。そんな頃だったようだ。

身に覚えあるのはイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」。『欽ドン!良い子 悪い子 普通の子』という番組から生まれたユニットで、私は普通の子"フツオ"くんをやっていた長江健次さん(中央の八重歯のかわいい男の子)が好きだった。
この曲、作詞 松本隆さん、作曲 細野晴臣さんというすごい布陣で作られていて、お笑い番組から出た企画ものとして侮るなかれ…っていうのは後に随分大人になってから知った。

そうか、、チェッカーズが現れる前までは欽ちゃん、ドリフ、歌番組にハマっていて、特に誰かを好きというより、それらの番組が好きだったんだと思う。

・欽ドン!(『欽ちゃんのドンとやってみよう!』)
・欽どこ(『欽ちゃんのどこまでやるの』)
・『ドリフ大爆笑』
・『8時だョ!全員集合』
『カックラキン大放送!!
この5つに加えて
歌番組(トップテン、ベストテン、夜ヒット、ヤンヤン歌うスタジオなど)を毎週ほぼ欠かさず観ていた。
ちゃんと観ていたのがこれらの番組っていうだけで、前回の記事①でも書いた通り、ウチは父の仕事柄いつでもテレビが点いていた家庭だったので、実質もっと観てるものは多い。
テレビっ子は自負していたが、こうして書き出してみると我ながら観過ぎではなかろうか。笑

ドリフやカックラキンは当時人気のアイドルがコント(※)に参加するのが通例で、笑いも取りつつ持ち歌も歌うスタイルで、とにかく大好きだった。
(※)『カックラキン大放送!!』では研ナオコさん演じる「ナオコおばあちゃんの縁側日記」など

ちなみにウチは両親が『オレたちひょうきん族』が嫌いだったので、不可抗力でドリフ、欽ちゃん派だった。学校ではひょうきん族は男の子の方が好きだった人多かったような気がする…覚えてないけど。。笑

そして、83年頃(当時8歳)からようやく、私にとっての聖子、明菜、チェッカーズ…の時代がやってきたという流れだ。

83年以前のトシちゃん、マッチ、シブがき隊…もテレビで見ない日はないくらいだったから、もちろん知ってはいたが、そんなにハマってはいなかった。
特にトシちゃんに関しては、私は苗字が同じなので、よく同級生や彼らの2つ上くらいのお兄ちゃんお姉ちゃん達からしょっちゅう「トシちゃんの妹?!」とお決まりのイジリを受けていて、ファンなら嬉しいだろうけど、当時の私的にはあまり嬉しくなくて(←失礼だな。笑)、いつも微妙な居心地悪さの感じていた…。


🪩最強アイドル 松田聖子

聖子ちゃん、明菜ちゃんでいうと、私は後に断然明菜派になるのだが、最初は聖子ちゃんが好きだった。髪型もマネしたくて母にブローしてもらったりしていたし、人生で初めて買ってもらったシングルレコードも聖子ちゃんの「Rock'n Rouge」(84年2月1日リリース)だった。

子供の教育上(?)買っても良いよ、となったのが明菜ちゃんより聖子ちゃんだったというのもある。
それゆえ、当時明菜ちゃんのレコードは一枚も持っておらず、ひたすらテレビからの供給で繰り返し観続けて覚えるという努力の賜物で今も体内に染み付いている。笑

私的に印象の残ってる聖子ちゃんの曲をプレイリストにした。
どうやら1980〜88年で私の聖子ブームは終わったらしい。。

リストにも入ってるけど、その88年の「Marrakech〜マラケッシュ〜」が今聴いても大変良いので聴いて。笑

ていうか、この曲をもって聖子ちゃんは『ザ・ベストテン』出演最後だったらしく、翌年に渡米だったようだ。だから、私の中の聖子ブームがここで終わったというよりは、聖子ちゃんの活動自体がここで一旦ストップしたのだ。。
渡米を経て、ぶりっ子(←ほめてます)アイドルから大人なアーティスト寄りアイドルにイメチェンして、めっちゃびっくりしたし、英語話してる時の聖子ちゃん、かっこよかった。。

確かこの曲のくらいの頃って、明菜ちゃんも「SAND BEIGE-砂漠へ-」(86年)とか「ジプシークイーン」(88年)みたいなやや民族音楽っぽいエキゾチックなムードの曲を歌ってて、なんかそういうテイストが流行りなのかな?と幼心に思っていた。

明菜ちゃんの話はまた次回。。
(なかなかチェッカーズに辿りつかないぜ…💦)

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