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役に立たない受験体験記②〜20数年前、迷走の1浪時代
高校の卒業式がどんなだったか全く記憶にないが、とにかく「やっとこの学校から解放される…」ってことだけでとにかく嬉しかった。式の帰りにそこそこ仲良しだった友人2人と赤羽の安いカラオケ屋さんではしゃいだのだけ覚えている。港区のまあまあな(超セレブではない中途半端な)お嬢様学校には当時都内か神奈川県から通っている生徒が大多数だったので、錦糸町、赤羽、さいたま在住だった我々は少数派、かつ途中まで一緒に帰れるので、なんとなく仲が良かった。まあ、卒業後1度も会ったことも連絡を取ったこともない…その程度だが。
4月からはいよいよ浪人生活が始まった。時間割の決まっている本科生ではなく単科生だったので、選択した講座だけを受けるのだが、授業のない日も自習室に朝から晩まで居着いていた。自習室はいつも混んでいたが、その活気につられてやる気が起きるし、親からの無言の圧力に耐える必要もない。敷地内の売店や本屋で息抜きもできるし、とにかく居心地が良かった。
現役の時に知り合った浪人生のお姉さん2人のうち、1人は晴れて大学生に、もう1人は2浪を決意していた。彼女は理数系だったので、他の授業で一緒になることはなく、顔を合わせるのは英語の授業だけだったが、それでも知り合いがいるのは心強かった。相変わらず我々の英語の先生に対する恋ゴコロは続くのだが、さすがに「後がない」という焦燥感のようなものが多少は生まれてきていた。浪人生になっても私の志望校の傾向:3教科で受けられる都内男女共学の4年制大学(ミッション系除く)はどうしても譲れなかったし、3教科で受けるのだから、英語だけがそこそこ良くても他2教科分の点数をカバーできるわけではない。英語以外の教科も頑張らなくてはならない。そう頭では分かっていたのだが、どうしても英語に注ぐのと同等の熱量を他教科に注ぐことができなかった。
まず消去法で選択した日本史。英単語は積極的に覚えられるのに、日本史に出てくる人物、出来事、年号、戦、書物、建物の名前などは何度書いても頭に入らない。ただ無の状態でひたすら書きまくる漢字練習のようになっていた。もちろん、そんな風にあやふやに覚えた単語だけでは、記述式解答にも到底太刀打ちできなかった。そもそも私は単純に暗記することが大の苦手であったため、いつの間にか植え付けられていた「日本史は暗記モノ」という先入観も邪魔をした。結局これと言う勉強方法を見出せぬまま闇雲に"漢字練習"をしていただけで、点数は伸びないままだった。
予備校ではその他に古文の授業を取っていた。しかし解読テクニック的なものを教わったところであまり惹かれる要素もなく、こちらもイマイチだった。暴走族から予備校講師になったという先生の武勇伝を聞いてる方がよっぽど興味深かった。また当の先生が「古文ができるより英語ができる方が絶対将来役に立つから、英語をしっかりやれ!」なんて冗談半分で言うのを、確かにその通りだな…、と素直に受け止め、私は好きな英語だけを猛烈に頑張ることに甘んじてしまっていた。(ちなみに現代文と小論文は添削が重要だと思い、通信教育のZ会にお世話になっていた。)
(続く…)