母とガラケーとスマホ。
母のガラケーが寿命を迎え、これからのことを考えてスマホにしたのが確か70代後半のとき。今から4年か5年前だ。
ガラケーの文字入力は問題なくできていたので、スマホの文字入力もできるだろうと思っていた。
地区の老人会が運営する体操教室に通っていた母。
周りの人でスマホを使っている人がいると言う。
ちょっと羨ましそう。
ならスマホにすれば良いではないか。
交流するのにも一役買うだろう。
「ガラケーよりスマホのが便利だし、格安SIMなら値段も月2000円いかない。使い方は私が教えるわ」私も良い機会かと思い適当な機種を買い、格安SIMに申し込んだ。
私が間違っていた。おおいに間違っていた。
「スマホはいろんなことができて便利」は私の価値観だ。
日常にネットが浸透していない70代の母にはスマホは必要なかった。スマホを導入したとて生活にネットは浸透しなかった。
甘かった。文字入力はなんとかできる。
だがしかしアプリやブラウザの概念を教える難しさ。
新しい操作を年寄りに教える難しさ。
親にスマホを進めて私と同じ思いをしている人はたくさんいるだろう。
スマホの使い方をめぐってケンカになる親子もいるに違いない。
ガラケーはボタンを物理的に「押す」という簡易な操作に対してスマホの「画面を軽くタップする」という力の入れ具合がうまく制御できないのだ。
画面をグイグイ押す…違う、そうじゃない。
タップとスワイプの使い分け出来ないのだ。
そしてとにかく、LINEひとつ取ってもまずトーク画面に辿り着けないのだ。◀■●このホームボタンが分からなくなる。iPhoneなら少しは操作性がマシだったかもしれないが
もうそんな次元ではない。
困った。これほど隔たりがあるとは想像していなかった。
アプリはLINEと電話だけ見えるようにしてあとはすべて隠した。半年後、なんとかLINEだけ使えるようになった。
LINEの中にトークと電話が入っている。
これがまずは混乱の元だ。
ガラケーではメールはメール。電話は電話だった。
アプリの中にトークも電話もニュースも画像もなんて
理解できない。
私達にとって便利なアプリはネットが浸透していない世代にはなんも便利ではなかった。
好きな花の写真を撮って自分で調べれたら楽しいだろうな。
レシピを検索できたら料理のレパートリーが増えて喜ぶだろう。
なーんて、私の脳内お花畑ですべて勝手な妄想に終わった。
電話とメールだけに特化したガラケーこそが80近い母には使い勝手が良い便利なツールだったのだ。
私はそれを取り上げてしまった。後悔しかない。
ほどなく母はパーキンソン病を発病して施設に入居してしまった。
たらればの話になるがガラケーを使い続けていたなら、施設でも使えただろうか。
父はパソコンとガラケーで楽しく暮らしている。元々写真が趣味でAdobeなど使っていたのでそもそもの土台があった。このパソコンとガラケー持ちのお年寄りは一定数いるかと思う。
父がずっとパソコンばかりしていることに母は不満そうだった。スマホを持ったら母も父のことはとやかく言わなくなるだろう。なーんて思ったのも間違いだった。
今思えば母はネットとは無縁の生活だったがガラケーだけあれば普通に便利だったのだ。
スマホを持てば便利だろうなどというのは私達世代のおせっかいでしかない。
自分の尺度で人に何かを勧めるのは金輪際無しにする。