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道を挟んでセパレート帰省する息子夫婦


2025年になった。
今年もツラツラと思いつくままに書いていきたいと思う。

息子夫婦たちのことを書こう。
息子が結婚したのは約4年前。
お相手は中学の同級生だった。
同じ校区内、同じ町内、しかもうちと彼女の実家は道を1本挟んだだけの場所にある。
うちのマンションから彼女の実家まで歩いて1分という関係だ。

マンションがうちで一軒家が彼女の実家。
まさにこのくらいの近さなのだ。

嫁ちゃんは実家大好きなので、しばしば孫と2人で帰ってくる。気の毒だなと思うのは、この近さだと実家に帰ってきたときについでにうちに寄らざるを得ないことだ。

幸い、私は働いており、都合が合わないことも多い。それでいいのだ。

帰省が同じ場所で完結するのは珍しいかもしれない。その点は余計なお金もかからず経済的だ。

そして、年末などはうちへ遊びに来たあと、嫁ちゃんと孫は嫁ちゃんの実家へ、うちの息子は1人でうちへ泊まる。
いわゆるセパレート帰省だ。
このスタイルが定着して良かった。

私は自分の料理にコンプレックスを抱えているので家族以外に私の味が知れてしまうことを恐れている。下記の記事のとおりである。

あちらの実家は食通で、美味しいお店をよく知っているし、有名店のお菓子などを持たせてくれることも多い。息子もその恩恵にあずかっているようでありがたいしかない。

正月はあちらにお年賀として息子にアンリのお菓子を持たせるが、あちらからもうちに、私が渡したのより一回り大きなアンリのお菓子が届くので地味に経済格差を感じつつ、この地域あるある(アンリ被り)に笑いつつ、いつかアンリ本店であちらのお母さまと会う日が来るだろうとちょっと可笑しい気持ちになる。

どこかの記事で今はセパレート帰省も割と流行っているというのを読んだ。
わざわざ気乗りのしない相手の実家に行かない選択だ。
とても良い時代の流れではないかと思う。
実際、親世代も気を使わなくて良いしメリットしかないように感じる。
もちろん、これができるということはそもそもの関係性が悪くないことが前提だ。

親が嫁や孫に執着しないこと。

家族から独立したもうひとつの家族を自分のものと思わないことが肝心なのだ。

うちは息子しかいないので、そもそも出ていくものとして、割と早くからその認識だった。
家族でいた時間はかけがえのないものだったが、子どもは自分の所有物ではない。

こちらに帰ってきたときはついつい食べ物を買い過ぎたり、買い過ぎて余らせたり、出し忘れたり、あれもこれもと1回1回の帰省に過保護を炸裂させているが、私もそこらにいる男の子の親なので甘々になるのは多めに見てほしいと思っている。


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