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潮目は変わる。
子育て中は夫に触れられても拒否一択だった。
触るな。私はあの子たちのお母さんなのだ。
母性本能むき出しだった。夫の手が伸びただけで構えた。
なぜそこまで触れられることが嫌だったのかわからない。私のおっぱいは子どものものであり、子どもを育てる血液だ。触るな。
夫への嫌悪感が丸出しだった。
その頃は夫の収入も少なく、私は働いておらず、切羽詰まっていたことも確かだ。
経済的な苦痛は心の余裕の無さに直結する。
私が短時間で働くようになって、3年後、フルタイムになって、ようやく生活が回りだした。
それまで両実家に援助してもらったことも何回もある。私の心はいつも荒んでいた。
夫は私とコミニケーションを取りたかったのだろう。だが、そんな時期に求められても応じれる余裕などない。ましてや、労りの言葉もない。言葉があってもお互いに使わなければ相手の考えてることなんてわからない。
思いやることも察することもできないのだ。
無言は疎ましい感情が上塗りされるだけだった。
夫が死ねばマンションのローンがチャラになる。いっそ、死んでくれと本気で思っていた。
私は心が疲弊していることを隠した。
子どもがいるのだ。平静を装い、楽しく、家庭的にあらねばならない。きちんと話し、笑い、褒め、怒り、人間としての基礎を作る。子どもたちをどうにか大学に入れ、社会に出す。それが私のミッションだった。
私の疲弊した感情とは裏腹に子どもたちはそれぞれに良い友達に恵まれ、中学、高校、大学と進路を進み、2人とも思いのほか早くに家を離れる時が来た。
残された私と夫。
するとどうだろう。
なぜか、夫に対するムシャクシャした気持ちは子どもたちが出て行ったタイミングで少しずつリセットされたのだ。
どうでもいいか。もう終わったことだ。
負の感情を手放した私の前には20数年前と何ひとつ変わらない、私のことを大好きな夫がいた。
変わったのは私で、夫は何も変わってなかった。何がそんなに嫌だったのか、今となっては私の脳みそが狂っていただけなのだと思う。いわゆる、みんなホルモンのせいなのだ。
私たちは今、良き同居人である。