〜らしいって何なのか
最近は文章を書きたい欲が止まらず、赴くままに書いてます。そるとです。お立ち寄りいただきありがとうございます。
突然ですが、らしさとはいったい何なのでしょうか。その人らしいとか、うわーそれって〇〇らしいよねとか何気なく耳にする、らしい。私はこの言葉は3文字でその人を具現化できる最強でかつ最弱な言葉だと思っています。
よく、〇〇って、真面目だよねと言っていただけることがありがたいことにあります。昔はそれが褒め言葉だと思っていたし、今でも基本的には褒める言葉として使ってもらえているとは思う。ただ、真面目だよね、わかるわかる、〇〇らしい!の言葉が時々無性に引っかかることがある。真面目だよね、とか〜らしいよとかいう言葉で私と言う人間を勝手に決めつけられたような気がして、むっとすることがある。単に幼いからなのかもしれないが、らしいの一言でこの人はこうだと枠の中に閉じ込められたような気になるから、他人には使わないようにしている。だから、受け取られかたによっては相手の不快指数を意図せず上げてしまう最弱のワードなんじゃないかと思ってしまったりもする。
学生時代を振り返ると、多分私は真面目な部類に属していた。課題はちゃんと期限に出すし、ほとんど休まないで通う。それが当たり前だと思っていたし、まさかそれをらしいねーなんて褒めてもらえるなんて考えてもなかった。ただ、現実問題、大人が好きなのはちょっとヤンチャとか手がかかる子だったりして、(これは勝手な想像だけど)学校あるあるであろう、クラスでの連帯責任みたいな時に巻き込まれる側の人間だった。当時はそれが当たり前だと思ってたし、多少理不尽なことにムカついたこともあったけど、まあいっかで済ませるようにしていた。だってそれが私らしいんでしょと。まあ、そこに力を使う元気もなかったというのが現実で。ただ、今思うと、それって変なことだった。普通なら真面目でいる人の方が評価されるべきだし、そうでなくともその人たちが生きやすい世の中であることが正解だと私は思う。ただね、ずっーと真面目にひたすら突き進むのもなかなかに難しいことで、きっとどこかで気を抜いたり、休むことも必要なんですよね。そうなってくると、真面目フィルター、らしいよねフィルターが邪魔になる。そんなフィルター存在してないのかもしれないけど、今の私にはそのフィルターがあるような気がしている。だから、何が正解かはわからないけど、私はある時から勝手に自分の中で線を引いて、これはちゃんとする、これはまあまあ、といったようになんとなくやる気度合いというのか、優先順位というのか、ただ何でもかんでもがむしゃらに立ち向かう真面目でいることをやめてみた。それは、あの頃遠巻きに見ていた友人たちと同じステージに乗ることになるのかもしれない。だけど、ずーっと前だけを見て進んでいた時より少し気が楽になったのでそこはよかったと思っている。ただ、未だにやることなすこと完璧でいたい、認めてほしいという自分が顔を出すので、その時はその時でそんな自分もいいよねと仲良くしている😊
真面目であることと不真面目であること、きっと前者の方が褒められるんだろうし、きっと自分も気持ちいい。それをらしいと言ってもらえることはきっととてもありがたいこと。だけど、それが自分の首を絞めるくらいなら、後者でありたい。もちろん、全部が全部後者だったら社会的にやってけないので前者を含みつつですが。
そこで、タイトルにも書いた〜らしいについて。
まさに〜らしいよね!!
そんな一言で括れるほど、単純じゃないと思う。真面目にもきっと種類はあるし、本人はそれを平然とこなしてるだけだから。あなたの求めるらしさって一体なんですか。真面目であること、いい子ちゃんであること?これはあくまで一個人の意見だけど、勝手な先入観で決めつけられることが1番苦しい。だからこそ、他人から見たものよりもまず自分がどうありたいかをしっかり持っていくべき何だと最近悟った。そして、それを見極めてくれる人に出会えたらそれはきっと幸運なこと。
そうは言っても、社会生活を送る上で他人からの評価とか見られ方とかどうしても気になるし、気にしてしまう自分がいるけど、いつか振り返った時にあの時の自分かっこいいじゃん!と思えるようにするのが今の目標で、自分らしさは自分だけが分かればいいかなとも思ってます。
*写真はyamaakko4さんのものをお借りいたしました。