無明「明かりが無い」


無明が意味する「無知の状態」は、何も分からないのではなく、全て分かったつもりでいるというおごりの状態。つまり、ものごとの本質が捉えられず、仏道の教えを理解できていないことを意味しています

左脳単脳思考者A 
左脳単脳思考者は意識発生血流が左脳フレーム、フィルターに滞留からの思考発生するので、単独特化の思考特性に留まり思考探求出来ないし、認識はそこで留まり、他の思考の当然認識出来ない、不完全な左脳フレームの半脳思考である、思考停止(無知を自覚も認識も出来ない)
知識、情報を学習入力でき認識、応用できる、それ以上ではなくそれ以下でそこまでの事前での思い込み、発展考察は出来ないし、不要で。完全主義の頂点での後ろ向きでの徹頭徹尾の壁と成る、自分が理解していると思っていることが実際は他人の知識や情報に依存しいいる事を認識していない、思い込みで、実際は詳細は知らない、機械的なコピーから自己発信に転換されている、
自分の知識を過大評価する

右脳思考者B
右脳単脳思考者は意識発生血流が右脳フレーム、フィルターに滞留からの思考発生するので、単独特化の思考特性に留まり思考探求出来ないし、認識はそこで留まり、他の思考の当然認識出来ない、不完全な右脳フレームの半脳思考である、思考停止(無知を自覚も認識も出来ない)

両脳交互思考者O
両脳交互思考者は意識発生血流が左脳右脳交互の血流が繰り返され、本来の原生ホモサピエンスの人類発生の根源思考である
自分の感情や思考を観察が冷静に出来る、知恵と自己洞察を深める事で真理の探究を進める
過去や未来に囚われる事無く自由に軽やかに
他者に対して不満や怒りを感じる、これらの感情を乗り越え、他者との調和を保つことが出来るか?他者への慈しみと共感の心を持つことが調和を保つ鍵である、「慈しみと共感」
全ての執着からの完全な解放です、心が完全に自由であり、何物にも囚われない状態、執着の根本を深く理解し、それを手放す覚悟を持つことが必要
 ピダハン族、アマゾン奥地に暮らす少数民族「過去も未来もない、今この瞬間」
イエス、ブッダ、ソクラテス、老子、宗教、哲学の行きつく先は、人間は思考の分断が存在し、解明し、それを指し示している、それがすべて、
それを認識理解するか出来るかは、説明しても不可能か?
現在、哲学、宗教と延々と学問とし唯、表面的字面だけで、言い伝えられてるだけで、誰一人、本質解明されていないのが現状、世界に一人とし、研究発表されていない、それだけで多くの人間が思考停止の証明である、不都合の密閉としか思えない、考えつかないのが不思議。
世の中、人間行動のすべての、論理的解明が進む




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