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「蜘蛛の糸」

朝の強い日差しに、まどろむ間もなく目を覚ました。寝たら忘れるなんて嘘だ、なんて思いながら昨夜抱えていた鬱屈とした思いがまだ胸の奥に棲んでいることを嘆いた。

いつからか私の身体の内側には、黒い糸でできた大きな蜘蛛の巣が張り巡らされている。しかし、それが胸のあたりにあることだけは分かるのだが、心臓の中なのか肺の中なのか、はたまた骨と骨の隙間に巣作っているのかは分からない。ただ、はっきりとその糸が胸を圧迫していることだけはわかる。

身体の中に手を入れることは叶わず、私はずっとその巣を壊せずにいる。濡羽色のその糸は、この世の黒を全て集めたように暗く、そして、決して切れることがないくらいに頑丈にできている。僕が寝ている時にも少しずつ糸が紡がれていき、あと少しで口の中から顔を出してしまうのではないかと思うほどに日々増殖している。

寝たら忘れるなんて嘘で、むしろ朝目が覚めるたびに糸は胸の中でかさを増していく。あまりの息苦しさに病院に行くことも考えたが、医者は人間に白衣を着せただけの存在としか思えなくてやめた。人間が人間を科学するなんて、きっと出来やしないのだ。いっそ顔を埋め尽くすくらいに巣を作ってくれればよかったのに、外から覆い隠すように身体の中にせっせと張り巡らせるものだから、僕は誰からも病人には見えない。仮に診察を受けようものなら、医者は僕の胸に聴診器をあてながら、

「どこも悪いところはありませんね。」

と言い放つだろう。

「違うんです、外からは見えないだけなんです。レントゲンでも撮って見てみてください。身体の中に蜘蛛が巣を作っているんです」

「では、抗不安薬のセパゾンを処方しますね。お大事に」

お大事に、か。自分のことは自分がいちばん大事にしているに決まっているのだ。もしこんな会話をしてみようものなら、僕はおそらく妄想に取り憑かれた精神異常者みたいに思われるに違いない。

しかし、人は皆口々に「心が痛い。」と口にするだろう。人間に心という臓器は存在しないはずなのに、心がまるで形ある器官のように脈打って血が流れているかのような物言いだ。確かに心という器官は存在しないのだが、人は誰しも身体の中に蜘蛛を飼っていると僕は思うのだ。その蜘蛛は不幸が大好きで、主人の悲しみを栄養にして育ち、巣を作る。悲しみが積み重なるにつれて、巣は大きくなり、胸の隙間という隙間に鋼のような硬い糸を張り巡らせていく。肋骨の間を埋め尽くし、肺の毛細血管に絡みつき、しまいにその糸が心臓に達したとき、主人は生きることをやめ、死を選ぶ。人は、決して病気だけで死ぬわけじゃない。不幸の食べすぎで太った蜘蛛が、勢い余って心臓を貫いてしまうこともあるのだ。外から見れば、その人は若くて笑顔が素敵な人かもしれないが、外側から見える部分なんて綺麗に取り繕った仮面のようなもので、その裏側はまるで店のスタッフルームのように雑然と乱れているものだ。

蜘蛛は太陽を嫌う。そして、もっとも幸福を恐れる可哀想な生き物なのだ。生涯、日の目を見ることもできず、不幸を餌にしてしか生きられない不恰好なやつなのだ。反対に、喜びや幸せといった感情は、蜘蛛の巣を溶かし、蜘蛛に傷を負わせる。幸福こそが蜘蛛の最大の敵なのだ。だから、蜘蛛はあの手この手を使って、主人から不幸の蜜を引き出そうとする。傷ついた過去の記憶の蓋を開け、未来に対する不安を煽るのが大の得意だ。

せめて朝だけは大人しく寝ててくれ、そう思いながら重い腰を上げて布団から出た。カーテンの間から蜘蛛の嫌いな日差しが差し込んでいる。顔を洗って、寝ぐせでボサボサの髪の上から帽子を被り、朝日が照りつける街へ家を出た。誰にも見えない蜘蛛を胸に飼い慣らして今日も生きる。


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