私という鉛筆
書(描)いて表現・可視化させてくれる鉛筆。
芯となる鉛だけでも何とか書くことはできる
しかしそれでは折れやすく手が汚れる。
それを覆い支える木の部分があっての鉛筆
芯を鋭く削ってきめ細やかに描いたり
太目にして柔らかなニュアンスを出したり
芯の先で文字や絵を描いたり表現できる
昔ながらの道具である。
その鉛筆の芯の先端が私だとしたら?
・不器用で荒削りの表現(対人関係)しかできない
と思い込んでいる私
・自由自在にスムーズになかなか描けない(人生)
と思い込んでいる私
・芯が折れないように書(描)いている私
・臆病と強気が表裏一体となって書(描)いている私
ありのままの生き様を書(描)きたい!
一見、不利な事や恥と思える事も曝け出す事が
私の存在意味だと思っている。
そこに誇りを持ちたい変態な鉛筆かもれない。
そんな私の鉛芯を覆って支えてくれているのは?
今のところ
家族、健康、音楽、言語化する為の言葉達、
発信する為のツール…
仲間、友、は最近やっと言えるようになってきた。
とにかく折れることなんか気にせず安心して
楽しく書(描)ける鉛筆に成長するのは私次第。
常に満足じゃない自分に満足。
それが今の私。
この鉛筆を見て(読んで)くれている人達は
ただ何も言わずに
優しく見守ってくれているようで
勝手にそんな気がして
なんだかありがとうがじんわり。
そっか!大切な事忘れてた。
読者の方達も私を覆って支えてくれているんだ。
改めて発信できる居場所に感謝♡
皆さんの鉛芯を支え覆ってくれているものは何ですか?
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