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会話が苦手だと思った瞬間を深掘りしてみる


あの時なんて言えば良かったのだろう…

今でもふとよぎる時があります。
長年心に留めたままにしてたこと。
小さなモヤモヤだけど反芻してしまう自分のために。
思い出した今回、これを機に深掘りして前を向きたい

これは15年ほど前にあった
近所のママさんとのやり取りでのエピソード

その方は小学生〜幼稚園児〜乳幼児4人の子のママ。
当時ポスティングの仕事をしていました。
その間に子守りとして
毎日近くに住んでいるお母様がいらしてました。
お孫さんとよく一緒に歩いている姿を見かけてました。

年齢的に60後半〜70代くらいのお母様。
時々、末っ子がぐずるとおんぶしていて
私とすれ違うと、参ったなぁ…
と言わんばかりの顔で
私に作り笑顔で「こんにちは」と
挨拶してくれているのが印象的でした。 
私も「大変ですね」と声をかけていました。

ある日、
そのご近所のママさんと近所でばったり会い、
家の方向が一緒だったので流れで一緒に帰ることに。

雑談が苦手な私は何を話したら良いか色々考えて
「お母様近くに住んでて良いね」
と言ってみました。
すると「そうね。毎日来てくれるから助かるね」

この後どうやって話を続けよう…
勝手に会話を繋げようと必死の私。

これは今思うと、当時の私は
沈黙が怖くてつまらない人だと思われたくなかった。
とにかく自分から話を切り出して
無口な人よりお話し出来る人だと思われたい。
とりあえず何か口に出そう。
そんな見切り発車のところがあったのです。

そこで、次に出た言葉は
「毎日来てくれてるんだ。
それはお母様大変そうだね。」でした。
と私自身、何の悪気もなく思ったことです。

すると
「えっ。そんな風に思ってるの?」
とかなりムッとされたのです。

やってしまった…
思いもよらず不快な反応をされた事に
私はとても焦りました。
咄嗟に
「ごめん、悪気はないよ。
でも大変そうに見えたのよね」と伝えました。
 
だって本当にそう思ってしまったから。
瞬時に良い言葉なんて浮かばない。

それだけが私の中にずっと残って
私は人と雑談すると失言が出そうで
怖いという反応になっていったのです。
直したいけど直し方がわからない自分。
それが自分を責めることになっていくのです。

常に相手を不快にさせない会話って
私には出来ないのかも。
やっぱり私はどこかおかしい。

その後二人のやりとり、家までの道のりで
何を話して帰ったかは覚えてません。
そして現に今、お互いの仲は悪くありません。
時々ばったり会えば普通に会話してるのです。

ざっとこの一連の文を書いて
恐ろしいほど俯瞰できたこと⬇️

まず、
1️⃣家族にも日常的に無意識にそんな会話をしてるな。
家族(特に子供たち)にも
長年不快な思いをさせているんだよな。
それを「自分はおかしいから」で済ませるのはそろそろ卒後したいね。

2️⃣そもそも生きてる中で
一度も相手を不快にさせない人っているの?
私はあの時、ちゃんとごめんねって言えたよね。 
だからそれで大丈夫。

3️⃣私の見えているスクリーンが
基本、表面的でネガティブに捉えやすいから
見えているそのまを伝えたらネガティブな発言になる。
ただそれだけのこと。

4️⃣「わたしはどこかおかしい」というレッテルを
自分で貼って困っている自分を演じているんだな。

5️⃣会話って何のため?
私は自己中心になってしまいがち。
勝手に焦って自爆するなんて本末転倒。
自分の衝動を制御するように心掛ける必要がある。
相手を尊重して待つ。聞くを意識してみる。

ここまで書いてみて途中何度も
ゾッとしたり、心がザワザワしたけれど
気づきがあったから深掘りした甲斐がありました。

今の私なら
「近くだからこそ
可愛い孫と娘のために顔がみたくて、お母様も大変ながらに足を運べるんだね」かな。

どう言ったって受け取り側の感じ方次第。
だとしたら、ただ言えることは
自分は相手にどういう気持ちになってもらいたいか?
焦らずにその設定だけはしておこう。
そうすれば自分が後悔することはないかもしれない。


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