劣等感と劣等コンプレックスの正体
これは3年前に下書きとして
書き留めたままになっていた記事を
今の私が読み返して、
これはしっかり書き終えて投稿しておきたい。
そう思い立って
数年の時間を経て今の自分で加筆修正し、
過去の私へのメッセージを添えて投稿します。
以下↓
「劣等感」と「劣等コンプレックス」
この違いを調べてみた。
簡単にまとめると
「劣等感」とは、他者や理想の自分よりも
現状の自分が劣っていると感じる感情のこと。
「劣等コンプレックス」とは困難から逃げ、
変化成長を諦めて自分の殻に閉じこもること。
劣等に押しつぶされると、
怒りや哀れみとして表に出ているようだ。
気づけば私自身は劣等感の塊だった。
仕事ではミスを意識してミスを呼ぶ悪循環。
素の自分を出すのは恥だと自分に蓋をして
相手や周囲の目を気にして
「こうしないといけない」とか
「こうあるべき」という思い込みや
概念に囚われすぎて自分がわからなくなっていた。
そんな私は、言いたい事も相手に上手く伝えられず
その度に私は
私だって思った事をその場で言いたい。
でも上手く自分の言葉で言い返せないし
私のやったことはいつも良くないことなんだ。
どうせ夫には言いくるめられるし
職場の同僚や上司に何か言っても言い訳になる。
ならば我慢できる事柄ならその場で受け流そう。
私がおかしいから仕方ない…
と思うようになった。
そうやってその時の感情を振り払って
終わらせていた。
言い返さない理由は他にもあった。
私の父はとてもすぐにカッとなって怒鳴る人だ。
母との大喧嘩は日常茶飯事。
その度に耳を塞いでいた。
そういうのをみてきたから
余計に子供の前で争いたくなかった。
言い返すというのは私の中で
反論、バトルというイメージになっていた。
どうしても勝負のように感じて怯んでしまう。
父親からはいつ不機嫌になるかもしれない
怒鳴られないか普段から気にしながら過ごし
母親からは兄妹、幼馴染の子達と比較され
私は劣っていると植え付けられた。
そうやって幼い頃から人よりできない事が多い
と決めつけて諦めて自分自身の感情を
当たり前のように蔑ろにしてきたのだ。
だから自分の本心がわからなくなっていた。
自分の中の正論は
きっと誰にも理解してもらえない。
だって私は変わった人間だから。
自分を出さない方が楽だろう。
生きてる自体がコンプレックス。
以上。
今これを読み返すと
あの頃の自分自身がとても愛おしくなる。
自分を責めてばかりいるとそのうち
両親や夫、周りの環境のせいにもしたくなる
そんな気持ちもよくわかるよ。
劣等感を感じてコンプレックスだと思う事で
自分を諦めて溜め込むのを選んできたのは私。
それが私を長い間守って来たんだね。
でも何かのせいにしても何も一向に変わらない
ってやっと気づいた。
ならば本当に自分を守る為なら、
溜め込まないで素直に自己開示した方が良い。
開き直って理解されなくても
思った事、感じた事はその場で伝える。
そして原因は自分の捉え方にあるって
ちゃんと今は気づいているから。
変えたいのか?
そのままの自分で良いのか?
ゆっくりしっかり自分と向き合って
自分を理解していこう。
それが遅ればせながら出来てきている。
これが今、40代の私の成長だから。