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みんな国葬にしてしまえば | 宗教と政治#4

今日は9月21日。安倍さんの誕生日であり、私の28回目の誕生日です。誕生日だけでなく、身長もおんなじ。
私は病院到着から約6分で産まれた超親孝行でデカい新生児でした。戌年のおとめ座なので、ワンちゃん(特にコーギー)が好きになるのも自然の摂理でしょう。

さて、安倍さんの「国葬儀」が来週27日に日本武道館で執り行われます。67年の吉田茂元首相以来、首相経験者では戦後2例目の国葬となりますが、みなさんはどう思われますか?

結論、私は国葬に条件付きの反対です。
理由はシンプル。
実施にあたっての法的根拠がないこと、国会に諮っていないこと。

それ以上でもそれ以下でもありません。
今の国葬についての議論は終わりが見えそうにありません。
その理由は、政治的に安倍さんが国葬に値するかという点で是非が検討されているからです。

安倍さんが国葬に値するかなんて、法的な基準がないので一生分かりません。
評価は人それぞれ。そんなことに焦点を当てて議論しても平行線のままです。

つまり、法的根拠があれば実施しても問題ないし、なければやっちゃダメです。
なぜならわが国は法治国家であり、立憲主義に基づいているからです。

岸田首相はこの国葬を国会に諮ることすらせず、閣議決定のみで実施を決めてしまいました。
のちの会見で、法的根拠がないという指摘に対し首相はさまざまな御託を並べていたのですが、まったく説得力がありません。

国葬はその性質上、すべて国のお金が拠出されますから、それを内閣の一存で決めてしまえるならなんでもありになっちゃいます。

確かに安倍さんはさまざまな意味でレガシーを残し、平成後期の日本政治における象徴的な存在。
言い方はよくないですが、安倍さんの前が野田さんだったことは忘れても、菅さんの前が安倍さんだったことはほとんどの国民の記憶に残り続けるでしょう。

それに、あのような非業の最期を遂げたことも相まって「もうこれは国葬を実施してみんなで弔うしかないよね」という空気になるのも無理はありません。

しかし、それとこれとは別。安倍さんを支持しない人の税金まで注ぎ込まれるとなれば、国に弔意を強制されていると感じてもおかしくはないでしょう。
確たる法的根拠、それに基づく正当な手続き。
これらなくして、国事行為を行えるはずがありません。

なお、天皇陛下は皇室典範に崩御した際は国葬を行うと明記されています。(その規定自体に問題があるという議論はあってもいいと思います)

当然これからも首相経験者が国葬に値するかという議論は続き、明文規定ができたとしても、その時々で議論は有るでしょう。そこで、そのとき最も多くの合意形成が図れると考えられるルールがあります。

それは、すべての首相および首相経験者が亡くなった際はその一切を国葬とする。あるいは実績や在任期間にかかわらず一切国葬としない。 
です。

ところで、今回の国葬に対して反対する国会議員らが国葬の案内状の写真とともに「欠席します!」とドヤるのは、政治家としては正しくても国民からすると不快以外の何物でもないので、もし支持率獲得のためにやっているのであれば、今すぐやめることをおすすめします。

P.S.
今年2月、生まれてから10000日を超えたのですが、それをうっかり逃してしまい、いまだに後悔しています。

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