あらたな言論封殺を生み出さないために
まだ全容が明らかとなっていない銃撃事件直後から、SNSでは「反安倍勢力がこの事件のきっかけをつくった」、「安倍さんを不当に批判していたヤツら全員に責任がある」などの意見が数万単位で拡散されていた。
犯人が動機を政治的信条以外に持っていたと報じられても、その意見を翻す人はほとんどみられない。
この襲撃事件を矮小化する意図はまったくないが、犯人の供述が真実であれば、今回の事件が「民主主義への挑戦」、「言論封殺」とは別の性格を持つと考えられるだろう。
当然、民主主義の根幹にあたる選挙活動のさなかの出来事であるので、民主主義を否定する卑劣なテロ行為と受け止められるのも無理はない。
一方で、この事件の背景に犯人の個人的な逆恨みだけでなく、安倍氏に反感を持つ人の行為が含まれると喧伝することで、あらたな言論封殺の呼び水となるおそれがある。
暴力により言論活動を封殺されたことを以て、別の言論活動が萎縮・封殺されるのでは本末転倒だ。
民主主義国家において、暴力以外の手段で政治権力を批判するあるいは監視することは至極健全な行動である。
もちろん、その批判対象は政治的言動に限定されるべきであり、個人では変えようもない部分まで対象を広げてしまっては誹謗中傷となってしまう。実際に安倍政権時には「安倍死ね」などの誹謗中傷を言い放つ人が散見された。
私も安倍政権に対してかなり批判的な立場を取るが、たとえ誰が相手であってもそうした誹謗中傷をぶつけてはならないと肝に銘じている。
こうした問題を十把一絡げにしてしまうと、民主主義の流れに逆行し、閉塞的で萎縮した言論空間に成り果ててしまう。
実は安倍氏は自身の政治信条を押しとどめ、政治的妥結を図ったことが何度かある。
そのなかで印象的だったのは2015年12月のいわゆる「日韓合意」だ。
戦時中の「朝鮮人」に対する旧日本軍の行為に対し、韓国側が約10億円の国家賠償を日本に求めた。
安倍氏の政治的立場からすれば、到底是認できない内容だったにもかかわらず、彼は日韓関係への配慮からこれを全面的に受け入れた。
個人的には、賠償金を支払う対象が被害者ではなく、韓国だったこと、また、被害者への直接的な謝罪なく幕引きを図られたので、このきわめて政治的な合意を評価できない。
この日韓合意に、安倍政権を支持する人からは安倍氏に対して強烈な批判を浴びせた。
それも、「強制連行はねつ造だったのに、血税を易々とゆすり取られた」や「日本は何度謝らなければならないのか」などと的外れなものばかり。
本当に安倍氏を応援しているなら、「自身の政治的信条を押しとどめてでも、日韓関係の改善につながる合意にこぎ着けた外交努力は評価されるべき」と評価してもいいようなものだが。
さらに、安倍氏は公私を分けており、国会で対立している共産党とも、国会外では1人の人間として接していたともされている。
特定の個人・集団の言論の自由を奪う行為は、安倍氏も決して認めないはずだ。
今回の悲劇をあらたな悲劇の呼び水にしないためにも、感情的になって誰かを悪者にするのではなく、このような卑劣な行為を未然に防ぐ手立てを考えていくことが、主権者である私たちに必要な選択ではないだろうか。