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早稲田大学商学部の教科書と戯曲『ヴェニスの商人』

前に書いた記事「一斉型授業が嫌いでした」の中で言及した、早稲田大学の商学部の「ビジネス法入門」という講座で使われている教科書を図書館で見つけたので、借りて読んでみました。

今は第3版が授業で使われていますが、図書館にあったのは、第2版でした。なお、第2版はメルカリで、書き込みありの状態であるというコメントをつけて500円で売られていました。

私は商学に疎いのですが、この本の内容は、多分基本的なものだと思います。ずっと読んでいると、多分眠気を催すだろうという点においても。

ただ、その中に、このような一節がありました。

法律は、社会のルールの一つですから、社会で暮らす、あるいは、経済活動をする人々、関係者の共通の理解となり、多くの人々の納得できるものであることが必要です。
ルールである以上、「筋を通す」ことが大事ですが、同時にバランスの取れていることや、正義(justice)に適うことが求められます。
これを非常によく表現しているのが、有名なシェークスピアの戯曲「ヴェニ スの商人」の一節です。
イタリア・ヴェニスを舞台とするこの戯曲では、友人 バサーニオーのために若き貿易商アントーニオーが高利貸しシャイロックから金を借りる際に、担保(借金返済のかた)を用意できなかったために,「借金を返済できなければ自分の胸の肉1ポンドを切り取っても良い」という条件に合意させられます。
果たして、借主アントーニオーは期日までに借金を返済できなかったために、貸主シャイロックから裁判を起こされます。
裁判官は,「契約は守らなければならない。」というのがヴェニスの法であると言って、原告シャイロックの要求通り,、アントーニオーの胸の肉を切り取っても良いと認めます。
しかし,裁判官は、同時に、「契約には血を流しても良い。」とは定められていないから、「血を1滴でも流せば、それは契約違反である。」と述べ, 「血を流すことなく肉を切り取れ」と原告シャイロックに求めます。
実際に、血を1滴も出さずに人体から肉を切り取ることは不可能ですから、結局、この裁判は、内容的に不当な契約の履行を認めないというものです。
このことは、お互いの約束として決めた契約は守るべきであるというルールに従いつつ(筋を通す)、その結果として不当な結論が出てくるときには、正義とか衡平の観点から軌道修正をして、正義に適う結論を導くバランス感覚を発揮することを意味しており、法的な考え方の一面を上手く言い表しているわけです。(もっとも、このことを、法廷弁護士を含む数人のイギリス人に説明したら全員の反応が、初耳だというものでした)。

中村信男、 和田宗久『ビジネス法入門(第2版)』中央経済社、2017年

しかし、この戯曲には、法の適用とユダヤ人差別という2つの側面で問題が指摘されています。そこで原作の問題の部分を見てみました。

PORTIA   A pound of that same merchant’s flesh is thine. The court awards it and the law doth give it.

SHYLOCK   Most rightful judge!

PORTIA   And you must cut this flesh from off his breast. The law allows it and the court awards it.

SHYLOCK   Most learned judge! A sentence! Come, prepare.

PORTIA   Tarry a little; there is something else. This bond doth give thee here no jot of blood; The words expressly are ‘a pound of flesh’:  Take then thy bond, take thou thy pound of flesh;  But, in the cutting it, if thou dost shed One drop of Christian blood, thy lands and goods Are, by the laws of Venice, confiscate Unto the state of Venice.

GRATIANO O upright judge! Mark, Jew: O learned judge!

SHYLOCK Is that the law?

PORTIA Thyself shalt see the act; For, as thou urgest justice, be assur’d Thou shalt have justice, more than thou desir’st.

GRATIANO O learned judge! Mark, Jew: alearned judge!

Shakespeare, William. The Merchant of Venice (AmazonClassics Edition) 


これに対する、2つの和訳を引用します。原文と見比べると、なんでこんなに訳し方が違うのだろうか、と思います。

角川文庫版では、問題の場面は下のように書かれています。発話者がシャイロックであったり、ユダヤ人であったり、統一されていません。意図的なものか、編集者の見落としなのかよくわかりません。

ポーシャ   当該の商人の肉一ポンドはそのほうのものである。当法廷がそれを認め、法律がそれを与える。
ユダヤ人  実に公正な裁判官だ!
ポーシャ   そのほうは、この男の胸から肉を切取らねばならぬ。 法律がそれを許し、当法廷がそれを認める。
ユダヤ人   実に学のある裁判官だ! 判決だ、さあ覚悟しろ!
ポーシャ   しばし待て。まだ続きがある。この証文は血一滴たりともそのほうに与えていない。文言ははっきりと「肉一ポンド」となっている。 ゆえに証文どおり、肉一ポンドを取るがよい。 だが、それを切る際、たとえ一滴でもキリスト教徒の血を流せば、おまえの土地と財産は、ヴェニスの法律により、ヴェニス国家に没収される。
グラシアーノ   おお、立派な裁判官だ! 聞いたか、ユダヤ人。ああ、学のある裁判官だ!
シャイロック  それが法律ですか?
ポーシャ    自分で条文を読むがよい。 おまえは正義を求めた。だから与えようというのだ、望む以上の正義を。
グラシアーノ   偉い裁判官だ! どうだ、ユダヤ人、偉い裁判官だ!

シェイクスピア作  河合 祥一郎訳『 新訳 ヴェニスの商人』角川文庫、2012年

光文社古典新訳文庫版では、問題の場面はこう書かれています。裁判官(ポーシャ)が「待て、ユダヤ人」と言っていますが、先の原文ではただ、Tarry「待て」です。また、「おのが目で、証文を読んでみるがよい」というセリフがありますが、原文のactは、法律を指すので、角川文庫版の訳が正しいと思います。

ポーシャ   この商人の肉一ポンドは、お前のもの。当法廷はそれを認め、法律は、まさしくそれをお前に与える。
シャイロック  おお、公正なる裁判官!
ポーシャ   しかしてその肉は、彼の胸よりこれを切り取れ。法律はこれを許し、法廷はこれを認める。
シャイロック   おお、いとも博学なる裁判官!判決 だ。(アントニオに) さあ、覚悟はいいな。
ポーシャ   待て、ユダヤ人。まだその先がある。この証文はお前に、血は一滴も与えてはおらぬ。文面には、明確に「肉一ポンド」と記されている。      したがって、証文どおり、あくまで肉一ポンドを取れ。しかしながら、これを切り取るにあたって、もしもキリスト教徒の血を、たとえ一滴たりとも流す時は、お前の土地も財産も、ヴェニスの法律によってことごとく没収され、 国庫に収納されねばならぬ。
グラシアーノ   おお、公正なる裁判官! 聞いたか、ユダヤ人。おお、博学なる裁判官!
シャイ ロック  それが、法律?
ポーシャ     おのが目で、証文を読んでみるがよい。お前は正義を要求している。それゆえその正義を、お前自身の望みどおり与えるのだ ──ないしは望む以上にな。

シェイクスピア作、安西徹雄訳 『ヴェニスの商人』光文社古典新訳文庫、2007年


まず、法律学的な見地からするとこの有名な判決には問題があると指摘されています。

イェーリングは、裁判官は契約内容自体を公序良俗に反するものとして無効と判断するべきところを、契約を有効とした時点でシャイロックの持つ権利を正当と認めているのに、裁判官自らが後からその権利を覆し法制度を破壊していると指摘している。

ウィキペディア

インターネットで検索すると、この戯曲の法律的な問題点に関する記事がいくつも見つかります(佐藤 好明「ヴェニスの商人」と法律問題、二本松 利忠「シェークスピア『ヴェニスの商人』の法廷場面を読み解く」 など)。

一つ例を挙げましょう。先に引いたウィキペディアの記事にあるイェーリングは,『権利のための闘争』(Der Kampf ums Recht,1872, 村上淳一訳(2000年・岩波文庫))の中で次のように触れているそうです。

「私は,裁判官がシャイロックの証文を有効と認めるべきであった,などと主張しているのではない。私の言いたいのは,裁判官が証文の有効性を一旦認めた以上,あとから,判決の執行にさいして,汚い策略によってこれを反故にすることは許されない,ということである。

後藤泰一「『ヴェニスの商人』覚書」信州大学法学論集第20号、2012年7月

一方、現代の観点から見ると、判決は不当だが、この戯曲が書かれた当時は、不自然ではなかった、と擁護する説もあります。

コーラーは,中世という「あの時代においては,『契約は厳守せざるべからず』ということが不動の法律規範として社会に認められていた。世人は約束したとほり履行せねばならぬと云ふことを杓子定規に考へて,それで法律生活の安定が保てると考へてゐた(日本でも昔は同様であった)。
然し,あの場合,契約に拘泥すれば其結果が却って正しくないと云ふことは,当時の裁判官にも感じられてゐたのである。そうとすれば,あの判決は,まことに已むを得ない。多少は無理があっても,少なくとも結果に於いては正しい。あれはあれでよい判決である。たゞ判決理由が悪いのに過ぎない。

同書

法解釈について解説した法律事務所による解説記事もあります。この戯曲では、裁判官による法の解釈が恣意的なのではないか、という指摘です。

この判決は「肉1ポンドを切り取ってよい」という証文を逆手にとって、血を流してよいとは書かれていないので、 血を流して肉を切り取ることを違法としたのです。その解釈手法は、“反対解釈”です。しかし、「肉1ポンドを切り取ってよい」という以上、 証文作成時に当事者は、いずれも血が流れることを当然に予想しています。つまり、肉を切り取ることを合意することは、 そのために血を流すことも合意したとみなされます。これが“勿論解釈”です。他方、 肉1ポンドちょうどしか切り取ってはならないという判決の論法は、“厳格解釈”です。しかし、 1ポンドというのはシャイロックに与えられた権利なのですから、シャイロックは権利の一部行使をしてかまわないはずです。 1ポンドきっかり切り取ることを裁判によって強制されるいわれはありません。

高和法律事務所「"ヴェニスの商人”における法(その1)」


このように法学上の議論のある戯曲を商学の教科書で単純化して採用するのは適切ではないように思います。商学に詳しくても、法学の基礎知識には詳しくない学者という、芳しくない例だと思えます。

実際、この教科書に「法廷弁護士を含む数人のイギリス人に説明したら全員の反応が、初耳だというものでした」と書かれています。

これを聞いた時点で、教科書の著者は、何かがずれていることに気がついて、彼らに確認すべきでした。機会は一度きりでなく、数人と話したのですから、なおさらまずいです。

もう一つの問題は、露骨なユダヤ人差別の描写です。裁判官は、ユダヤ人がキリスト教徒の血を一滴でも流したら、土地も財産も、ヴェニスの法律によってことごとく没収するというのです。
その意味で、この裁判官は、人を持ち上げておいて落とす、嫌なキャラクターです。

商学の教科書では、シャイロックがユダヤ人であることが伏せられていますが、この戯曲は明確にユダヤ人を差別しています(2つの和訳のどちらも、シャイロックがあたかも全ユダヤ人代表であるかのように扱われています。原文でも、グラシアーノがシャイロックを"Jew"と呼び捨てにしています)。

イギリスの学校にはユダヤ人の生徒もいるでしょうから、この戯曲を教えるとしたら、かなり神経を使うと思います。日本の大学でも、ユダヤ人の留学生がいる可能性を考慮したら、商学の教科書で『ヴェニスの商人』を例示する必要はないでしょう。より良い題材は、こんな古い時代の戯曲にさかのぼらなくてもたくさんあるでしょう。その意味でも教科書の著者は勉強不足です。ひょっとしたら、著者は自分が学生時代に習った教材をそのまま再利用したのではないか、とさえ思います。

前に書いた記事のように、この講座の教師は生徒のオンライン学習に不正がないかどうかを見ることには熱心なようです。しかし、この程度のことさえ考えずに教科書を書く方が問題のように思えます。

ひょっとしてこの教科書の最新の第3版では修正されているかもしれないと思って、書店で見てきました。しかし、この箇所は、第2版から全く変わっていませんでした。

この教科書の初版の発行時期はわかりませんが、第2版は2017年に発行されています。少なくとも5年間、この箇所は同じままです。学生の誰かが気づいて指摘しなかったのでしょうか。

Faculty of Commerce textbook and drama "The Merchant of Venice"

I found at the library a textbook used in a course called "Introduction to Business Law" in the School of Commerce at Waseda University, which I mentioned in my previous article "I hated simultaneous-type classes," so I borrowed it and read it.

The 3rd edition is now used in classes, but the one in the library was the 2nd edition. The 2nd edition was sold on Mercari for 500 yen with the comment that it was in a write-in condition.

I am not familiar with commercial science, but I think the content of this book is probably basic. Even to the point that if I read it all the way through, I would probably get drowsy.

However, there was such a passage in it.

Since law is one of the rules of society, it is necessary for it to serve as a common understanding among people who live in society or engage in economic activities, and to be acceptable to many people involved. As a rule, it is important to "make sense," but at the same time, it must be well-balanced and meet the requirements of justice. This is very well expressed in the famous Shakespearean play "The Merchant of Venice". In this play, set in Venice, Italy, when the young trader Antonio borrows money from the loan shark Shylock for his friend Bassanio, he is unable to provide collateral (to repay the debt), so he is forced to accept a pound of flesh from his chest if he cannot repay the debt. The customer is forced to agree to the terms of the contract. The borrower, Antonio, fails to repay the debt by the due date, and the lender, Shylock, takes him to court. The judge admits that it is the law of Venice that "the contract must be kept" and that, as requested by plaintiff Shylock, Antonio's breast meat may be cut off. However, at the same time, the judge said, "If you shed even one drop of blood, it is a breach of contract. "Cut the meat without shedding, "asking plaintiff Shylock. In fact, it is impossible to cut meat from the human body without producing a single drop of blood, so in the end, this trial does not allow the fulfillment of a contentally unjustified contract. This follows the rule that the contract decided as a mutual promise should be kept (reasonable), but when an unreasonable conclusion is reached as a result, the course is corrected from the viewpoint of justice or equality. It means demonstrating a sense of balance that leads to justice-friendly conclusions, and is a good representation of one aspect of legal thinking. (However, when I explained this to several British people, including a barrister, their reaction was that they had never heard of it before.)

Nobuo Nakamura, Munehisa Wada "Introduction to Business Law (2nd Edition)" Chuokeizai-sha, 2017

However, two aspects of the play have been identified as problematic: the application of the law and discrimination against Jews. So I looked at the problematic parts of the original play.

PORTIA   A pound of that same merchant’s flesh is thine. The court awards it and the law doth give it.

SHYLOCK   Most rightful judge!

PORTIA   And you must cut this flesh from off his breast. The law allows it and the court awards it.

SHYLOCK   Most learned judge! A sentence! Come, prepare.

PORTIA   Tarry a little; there is something else. This bond doth give thee here no jot of blood; The words expressly are ‘a pound of flesh’:  Take then thy bond, take thou thy pound of flesh;  But, in the cutting it, if thou dost shed One drop of Christian blood, thy lands and goods Are, by the laws of Venice, confiscate Unto the state of Venice.

GRATIANO O upright judge! Mark, Jew: O learned judge!

SHYLOCK Is that the law?

PORTIA Thyself shalt see the act; For, as thou urgest justice, be assur’d Thou shalt have justice, more than thou desir’st.

GRATIANO O learned judge! Mark, Jew: alearned judge!

Shakespeare, William. The Merchant of Venice (AmazonClassics Edition) 

Let's look at two Japanese translations for this. I wonder why the translation is so different compared to the original text.

In the Kadokawa Bunko version, the scene in question is written as follows. The speaker is not unified, being either Shylock or a Jew. I am not sure if this is intentional or an oversight by the editor.

In the Kobunsha Classic New Translation Bunko Edition, the scene in question is written as follows. The judge (Posha) says "wait, Jew", but in the original text above, it's just "Tarry". In addition, here, act is translated as a testimony, but this is supposed to be a law.

First, from a legal point of view, it has been pointed out that this famous ruling is problematic.

Rudolf von Jhering admits that the judge himself should judge that the contract itself is invalid because it is against public order and morals, but the judge himself later admits that Shylock's right is justified when the contract becomes valid. It points out that it overturns that right and destroys the legal system.

Wikipedia

If you search the internet, you will find many articles about the legal issues of this play (Yoshiaki Sato "The Merchant of Venice" and the Legal Issues, Toshitada Nihonmatsu "Understanding the Court Scene of Shakespeare's Merchant of Venice", etc.) ..

Let me give you one example. According to the Wikipedia article I mentioned above, Jhering mentions the following in "Der Kampf ums Recht" (The Struggle for Rights, 1872, translated by Junichi Murakami (2000, Iwanami Bunko)).

I am not arguing that the judge should have accepted Shylock's testimony as valid. What I am saying is that once the judge has recognized the validity of the deed, it is not permissible for him to later reverse it by dirty tricks in the execution of the judgment.

Taichi Goto "Memorandum of Understanding for the Merchant of Venice" Shinshu University Law Review No. 20, July 2012

On the other hand, there is a theory that the judgment is unjustice from a modern point of view, but it was not unnatural at the time when this play was written.

Josef Kohler said that in the Middle Ages, "in those days,'the contract must be strictly adhered to' was recognized by society as an immovable legal norm. I thought that it would keep the legal life stable (it was the same in Japan in the past), but in that case, if I stick to the contract, the result is not correct. That was also felt by the judges at the time. If so, that decision was unavoidable. Even if it was a little unreasonable, it was correct, at least in the result. That is a good decision. The reason for the decision is just bad.

ibid

There is also a commentary article by a law firm that explains legal interpretation. In this play, it is pointed out that the judge's interpretation of the law may be arbitrary.

The ruling made it illegal to shed blood and cut meat because it did not say that it was okay to shed blood, using the testimony that "one pound of meat could be cut". The interpretation method is "opposite interpretation". However, as long as "one pound of meat can be cut out", the parties naturally expect blood to flow when writing the testimony. In other words, agreeing to cut meat is also considered to have agreed to shed blood for that purpose. This is "of course interpretation". On the other hand, the argument of the ruling that only one pound of meat should be cut is a "strict interpretation". However, one pound is a right given to Shylock, so Shylock should be willing to exercise some of his rights. There is no claim that the court will force you to cut out exactly one pound.

Kowa Law Offices "Law in" The merchant of Venice "(Part 1)"

I don't think it is appropriate to simplify and adopt such a play with legal debate in a textbook of commerce. It seems to be a bad example of a scholar who is familiar with commerce but not with basic knowledge of law.

In fact, the textbook states, "When I explained this to several British people, including a barrister, their reaction was that they had never heard of it before."

Upon hearing this,  the textbook author should have noticed something was wrong and confirmed with them. It's even worse because he has talked to a few people, not just one opportunity.

Another issue is the explicit portrayal of Jewish discrimination. The Judge says that if a Jew sheds a drop of Christian blood, all land and property will be confiscated by the law of Venice. In that sense, this judge is an unpleasant character who lifts and drops a person.

Commerce textbooks do not mention that Shylock is Jewish, but the play clearly discriminates against Jews (both of the two Japanese translations treat Shylock as if he were a representative of all Jews. In the original, Graciano refers to Shylock as "Jew").

There will be Jewish students in English schools, so I think it would be very nerve-wracking to teach this play. Considering the possibility of Jewish international students at Japanese universities, it would not be necessary to exemplify "The merchant of Venice" in business studies textbooks. There are many better subjects, even if you don't go back to such an old drama. In that sense as well, the author of textbooks are lacking in study. Perhaps the author even reused the materials he learned when he was a student.

As I wrote in a previous post, the teachers in this course seem keen to see if there are any irregularities in their students' online learning. However, it seems more problematic to write a textbook without even considering this level of detail.

I went to the bookstore to see if by any chance the latest third edition of this textbook had been corrected. However, this section had not changed at all since the second edition.

I do not know when the first edition of this textbook was published, but the second edition was published in 2017. For at least 5 years, this section has remained the same. I wonder if any of the students noticed and did not point it out.


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