リトアニア・シャウレイ 十字架の丘
2019/3/13 訪問
雪が残る中、泊まっていたラトビアの首都リガを出発し、バスの国際便でリトアニアのシャウレイへ。今日は十字架の丘を目指す。
国をまたぐのだから、それなりの大型観光バスが来るのかと思ったら…
ハイエースをちょっと大きくしたような車、ロシアで言うところのマルシルートカが止まっており、拍子抜けした。こんなのでいいんだ。
エストニア・タリンのゲストハウスで印刷した予約票を見せ、乗車。
リガの町を抜け、次第にヨーロッパ的な田園風景に変わって行く。
道中、隣には鉄道が走っていた。途中までは近郊電車が走っていたが、次第に駅の気配すら無くなって行く。国境をまたぐのは貨物列車くらいだろうか。
いまは使われていない国境の検問所。あっけなく通過する。
そうこうしているうちにシャウレイ市街のバスターミナルに到着。ここの窓口で、早速十字架の丘への行き方を訪ねた。
よく尋ねられるのか、乗り場と時刻表の案内の紙が用意されていて、それを渡される。
バスまで少し時間があったのでヘズバーガーで昼飯を食べる。
ちょっとボロいバスに乗って、さっかリガから来るときに通った道を戻ってゆく。
十字架の丘最寄りのバス停に到着。降りたのは自分ともう一人だけで、そのもう一人もほぼ同世代の観光客のようであった。
自分は少し写真を撮りながら進んでいたため、もう一人は先に進んでいった。
結構バス停からは距離がある。しばらく歩くうちに、その人が話しかけてきた。
聞くと、どうやら彼もまたヨーロッパを卒業旅行として旅する大学生だったようだ。
ロンドンなどに1カ月ほど滞在し、ミュージカルなどをみてきたらしい。ほか、スペインや、イタリアなどを回って、最後にバルト三国に来たという。
話す中で印象的だったのは、バルト三国には日本人がほとんどいない、と言っていたことだった。
彼曰く、イタリアなんかでは、入ったレストランにいた客がほぼ全員日本人、なんてこともあったそうだ。彼は興ざめてすぐに出てしまったらしい。
自分からすると、バルト三国はエストニアで日本人旅行者数名とゲストハウスであっていたので、ロシアに比べたら断然多いと思っていた。辿ってくる経路次第でこうも感想が違ってくるんだな、と少し驚いた。
20分ほど並木道を歩くと、突如として十字架が並び立つ丘が見えてくる。
風に揺られて十字架がカラカラとなる音を聴くと、もはや違う世界にきた心地になった。
はたしていくつあるのだろうか。
ごく稀に日本語のものも立っている。
十字架の丘ができた経緯はウィキペディア(該当記事)に詳しく書いてあるが、リトアニアがロシア帝国から支配されること抵抗し、そのために亡くなった人々を悼むべく建てられた、というのが始まりらしい。
リトアニアに行くことがあれば、十字架の丘をぜひ訪れてみて欲しい。
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