2019年シベリア鉄道紀行
2019年、まだロシアがああなる前の時代、そしてコロナといえばビールぐらいしか誰も連想できなかった頃、、、シベリア鉄道を乗り通す旅に出た。その時、旅行しながら日記を書こう!と意気込んでいたが、三日坊主どころかなんと2日目で終わってしまっていた。我ながらその意気込みの続かなさに驚くばかりである。その最初の記録だけ、部屋を整理していたら発見したので、ほぼ原文のまま、ここに載せておこうと思う。
そして、今更ながらも思い出しつつ、この続きもいつか書ければ、と思う。
1日目 2019年2月22日
深夜、ウラジオストクの駅に荷物と買い出した食料を持って入る。始発駅に相応しい荘厳な風格の駅舎だ。ついたのはまだ21時台。乗る予定の列車まではまだ3時間以上もある。発車時刻は0時50分。モスクワ行きの 099Э列車。今回、旅行計画時点では予算が少なかったため、安い列車を選択した。有名なのは001列車《ロシア号》だが、この列車は2日に1本で、かつやや高い。(そのぶん十何時間かは速い)別にどちらでもいいだろう、むしろ(ロシア号より1泊分長く乗るので)ウラジオストクあるいはモスクワでの宿代が浮くから良いと思い、099列車を予約した。こちらでも特に問題なさそうだったが、予約してから一つ気づいてしまったのが、バイカル湖畔を深夜に通過するということだ。バイカル湖はシベリア鉄道沿線風景の数少ない見所だけに、見られないのは少し残念なところ。次回に期待したい。(いずれモンゴル方面からもう一度攻めたい。)
この日、砂埃舞うウラジオストク市内を大いに散策したため、せめて乗る前にはシャワーを浴びておきたいと思った。丁度ツイッターで先行してシベリア鉄道に乗っている人がいた。その人が、別の駅だったがシャワーを浴びていたので、そのツイートを参考にして頼んでみたところ、通じぬコミュニケーションに相手にため息をつかれながらも、なんとかシャワー室を借りることに成功した。シャワー料金180ルーブル+タオル代70ルーブル+石鹸代35ルーブルで借りられた。
0時半ごろ、どうやら改札が始まったらしい。外へ出て、陸橋を歩き、3番ホームへ。各車両、暖房の白い煙を吐きながら待っていた。我々は10号車だった。ウラジオストクの時点では最後尾であった。車内へ入る前に先頭の機関車の方へ行き、記念撮影。そしてまた最後尾まで戻り、チケットとパスポートを見せ、車内へ。10号車の21、22番、4人個室の片方上下をとっていた。
0時50分、ついに出発。モスクワへの長い旅が始まった。
発車後、すぐに車掌が来て、シーツを渡し、部屋の説明をしてくれた。また、トイレの説明もされて、紙は流すなという旨を主に伝えられた。よくトラブルになっていたのだろう。夜も遅かったので、早速シーツを敷いて就寝。
2日目 2019年2月23日
翌朝、9時ごろに目が覚める。起きてすぐ、扉をノックする音がした。開けると、一人のおばさんが立っていて、話しかけてきた。ドーブリェウートラ(おはようございます)は聞き取れたが、その先は分からず。同行者U君は「ブリヌイ」というワードから朝食と察してくれた。もう一つがよくわからなかったので、2つブリヌイを頼んで待った。
しばらくして、あったかいブリヌイとビスケットが赤い箱に入れられて持ってこられた。ほっかほかで目覚めに丁度いいブリヌイであった。なお、もう一方の食事はどうやらシリアルのようなものだったらしい。
ハバロフスク駅に13時50分到着。ここで15時ちょうどまで停車する。せっかくなので降りてみた。ウラジオストク以上に大きな駅で、緑色の屋根が特徴的だった。駅舎内でおばちゃんたち何人かに話しかけられたが、日本人とわかると少し残念そうに笑って、「そうなの、珍しい」と話していた。どうやら、中国語を話せるので、話してみたかったらしい。駅舎外にも出られそうなので出てみると、駅前にはハバロフの大きな像があった。まだ、トラムも走っていた。本当に軽く散策したのちに、地下通路の軽食屋でホットドック的なものを食した。ウマい。また、駅構内でコーヒーとファンタを買った。コーヒーは砂糖の量を聞かれ、「アジーン」(один、ロシア語で1)と答えたが通じなかったのか何故か角砂糖を2つ入れられたが、意外と甘すぎず丁度良かったかもしれない。
数々の光だけがほのかに見える雪原を走る窓を見ると、新潟か北海道のあたりでも走っているか のような気がしてくる。だが、周りの言葉で、ここはシベリアだ、ロシアだ、と思い出す。
くらやみの景色は案外どこも変わらないのかもしれない。
ハバロフスクのホームに戻ると、後ろに2両増結されていた。