2022年、近くに行ったついでに寄り道したら、とても良かった旅先ベスト5。
去年、一昨年と、遠出することができなかったので、GoogleMapには行きたい場所が渋滞を起こしていました。今年は、その3割くらいは消化できたかな。
その中から、今年、特に印象に残った場所をまとめてみます。わざわざそこだけ行くことは無いだろうけど、どこかに行ったついでに寄る価値は充分にある。そういう場所が増えるほど、旅は楽しくなるはず。順位はつけずに、行った順に並べてみます。
仏像マニアではなくても、これだけは見ておけ、と勧められ。
いつか山陽高速道で兵庫県を走ることがあれば、ぜひ寄っておきたいと思っていたお寺です。三木小野インターを下りて5〜6kmくらいだったかな。国宝『極楽山浄土寺』。写真を撮ることはできないけれど、この浄土堂の中がすごいのです。
安置されている阿弥陀三尊像は、旅する仏師、快慶が旅を始めた頃の作と伝わる。阿弥陀如来像は5mを越える巨大木像で、脇侍の観音菩薩、至勢菩薩も3mを越える。ただしすごいのはその大きさだけではなく、見せ方なのです。仏像をよりよく見せる採光、つまりライティング。
このお堂は蔀(しとみ)と呼ばれる格子状の窓に囲まれており、日の出ている間は常にどこかから光が差し込む。そしてその光は床に反射し、あるいは朱塗りの天井に反射し、常に中央の三尊像を照らす、という仕組み。そしてクライマックスは日没時で、後背の蔀は西を向いている。つまり太陽が三尊像の後光になるという仕掛けです。
どうだ、すごいだろ?
ここについては、ある仏像マニアの友人から教えてもらったのだった。マニアじゃなくても、あれだけは見ておけ、と。最初、このお堂だけで拝観料500円は高いな、と思ったけれど、とんでもない、充分に堪能できました。何より、めったに人が入ってこないお堂の中で、快慶作の巨大木像を穴が開くほど拝むことができる。国宝なので穴を開けないように注意です。阿弥陀如来が覆い被さってくるような感覚です。その夜は、きっと良い夢を見るでしょう。
ところであの真ん中に立てば、いつでも即座にモデル撮影ができるということですね。
滋賀県犬上郡、龍應山西明寺。
今年は国宝を見ることが多かった。
僕は決して国宝に詳しくはないけれど、世界遺産と言われるよりも国宝と言われた方がありがたく感じるのはなぜだろう。
とくに滋賀県内をクルマで走っていると、「国宝○○寺」という案内表示がとても多くなる。神奈川県の国宝と言えば鎌倉の大仏ただひとりなのに、こんなに国宝が多いなんて、やるなぁ、滋賀県。
で、京都から琵琶湖を右回りに彦根に向かいながら、この次に国宝の案内を見たら迷わず入ろう、と決めて、何の予備知識も無く来てみたのが、ここ、龍應山西明寺(天台宗)なのでした。
開創は平安時代の894年。「ハクシに返せ遣唐使」の時代に、仁明天皇の勅願によって建てられたという、すごいお寺なのだった。本堂と三重塔は鎌倉時代に創建。このお寺も織田信長による比叡山焼き討ちの標的になったものの、いずれも火難を免れ今日に至る。とのこと。
そんなに長くはいられなかったけれど、ここにはもう一度行きたい。西明寺不断桜という桜が知られており、春と秋冬に咲くとのこと。ほかにも、滋賀県内の国宝を回ってみたくなりました。
井伊家ゆかりの龍潭寺。浜松市北区井伊谷。
何だかお寺ばかり出てきますが、僕は決して宗教施設のマニアではなく、たまたまこうなっただけなので念のため。
ここはNHKの大河ドラマ、『おんな城主 直虎』の舞台にもなったお寺で、井伊直虎が幼少期に修行をした寺と伝わっています。大河ドラマとしては地味な評価しか受けていなかったようだけど、実を言うと、僕は『直虎』が大河ドラマの中ではいちばん好きかも。
派手な戦闘シーンが少なく、その代わりに事務仕事に追われる武士のようすや、領民の暮らしぶりにも細かく触れていて、とても好感が持てます。高橋一生さんの怪演もすごかった。そして何より、音楽がいいんです。あの劇伴を担当した菅野よう子さんはCM音楽の世界ではよく知られているけれど、日本の古い民謡や童謡、ヨーロッパのトラッドにまで精通していないと、あのメロディは書けないはず。
戦国時代、大国の間に挟まれた小国が生き残るには、戦わない道を選ぶ。逃げてでも生き延びる。領民の暮らしを豊かにするために、殖産興業として綿花の栽培や植林を進める。領民を戦に駆り出さない。そのため、誰の目も届かない、逃亡者のための隠し里がある。などなど。いわば弱者による、弱者のための政策。
井伊直虎については、具体的に何を行った人なのか、詳細な記録は残っていないらしい。ただし唯一、徳政令を出したときの花押が残されているので、領主であったことは確か。その時代に行われていた政策も多くは史実なので、脚本はそれを直虎の政策としてまとめている、というわけです。
写真はこの下に貼りますが、ここの庭園は素晴らしいです。アメージングです。
僕はこのとき、浜名湖でシーカヤックを漕いだ帰りに寄ったのだけど、ミシュラン風に言うならば、クルマに乗ってわざわざ見に行く価値は充分にあります。東京からクルマで4時間くらいかな。しかも観光地からは少し離れた場所にあるので、静かで、そのありがたさが倍増するというもの。帰りに鰻を食すも良し。
お寺の中は撮影禁止場所は少ない。それでも遠慮した方が良さそうな貴重な場所もいつくか。明治期の廃仏毀釈で、近所の子どもたちに転がされ、金箔が剥がされたという釈迦牟尼仏も、傷だらけのまま、手が届きそうな目の前に鎮座されています。座像ながら3mの大きさ。この仏像は、遠州でいちばん大きい仏像らしい。
なおこのとき、運良く「井伊家宝物展」も開催中でした。こちらはさすがに撮影禁止。長篠の戦では、長大な馬防柵を速攻で仕上げた功により、織田信長から褒美でもらったという、あの天目茶碗も信長の花押とともに展示されていました。
天龍峡大橋にて撮り鉄。長野県飯田市。
この秋は郡上八幡から天龍峡を通り、紅葉を見ながら帰ってきました。その旅の途中、新しくできた高速道路の橋の下が歩道になっている、と聞いたので、それってどんな橋なのか、寄り道したわけですが。
怖いので、途中で引き返そうかな、などと思いながらも歩いていたら、橋の真ん中に、下を通る飯田線の時刻表が貼ってありました。しかもラッキーなことに、2時間に一本くらいの列車があと5分で通過するとのこと。だったら、ということで、撮り鉄の名に賭けて、怖いのを我慢して待っているうちに揺れにも慣れました。ここには中井精也さんよりも先に来ちゃったかもしれないな。
そして期待通りの奈良井宿。長野県塩尻市。
南信州の、それはそれは美しい紅葉を見ながら奈良井宿へ。そのまま高速道路に乗るのが惜しくて、少し寄り道してみました。
ここは期待通り。予想よりも長い宿場町で、今も中山道を往来する旅の人で溢れていれば、それは賑やかだっただろうな、と想像します。そぞろ歩きの観光客の3割くらいは外国人観光客のようでした。
池波正太郎さんがたびたび京都に行っていた理由は、「小説に登場する江戸の町家の作りを細かく取材する」という理由もあったらしい。そんな話が『散歩の時に、ふと何か食べたくなって』(だったかな?)に書かれていて、なるほどなぁ、と思ったことがある。江戸時代の都会の民家はどこも似たようなもので、京も江戸もそれほど変わらない、と。であればここも、郡上八幡の職人町も、生きた資料として大切な街並みのひとつです。
にもかかわらず、せっかく残された古い街並みや古民家を、「想像上の日本」「外国人受けしそうな日本」にリノベーションしてしまった残念な街もいくつかあります。こうして日本に住んでいる以上は、そのあたりの真贋を見極める目を持ち続けたい。そのためにも、こういう街を見ておく必要はありますよね。
などという固い話はともかく、奈良井宿に来てうれしかったことは、今でも民宿として営業している宿が何軒かあること。一度じっくりと泊まりに来てみようかな。
ということで、今年の遠くへの旅は以上でおしまい、となるはず。
GoogleMap上の行きたい場所は、なぜか岐阜、滋賀、福井あたりに集中しています。とは言いながら、まだ福井県は永平寺にしか行ったことがありません。来年は福井県内のあちこちにお邪魔する所存。京都は以前のように混み始めているようなので、「京都の手前で寸止め」の旅が多くなりそうです。