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これは「地味な旅」の極みなのか、新たな旅のカタチなのか〜滋賀県長浜市で巨樹を巡る。
前回お話しした"Z世代の熱血ガイドさんによる今津街歩きツアー”は、日が高いうちに終わった。とても楽しく勉強できました。
その後は長浜に移動するだけ。翌日からは北近江に多く残るという巨樹を見に行く予定なのだけど、せっかく明るい時間なので寄り道します。
向かう先は、以前から気になっていた奥琵琶湖の重要文化的景観、菅浦集落です。
琵琶湖の北側を移動していると、国道と湖の間に壁のような山があり、この山の向こうに、まるでお伽話に出てきそうな水辺の集落があるらしい。ここを通るときにはいつも日没がらみで、なかなか行くことができませんでした。
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山々が、晩秋の日射しを受けて金色に輝いている。美しいではありませんか。
山道を走りながら、"かくれ里”菅浦集落へ。
国道から山道に入り、5分ほど走ると時折姿を見せる琵琶湖の水面。この感じ、まるでリアス海岸のようだ。←(現在は「リアス式」とは呼ばないらしい)
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この道は奥琵琶湖パークウエイと呼ばれており、クルマ2台が充分にすれ違える広さ。ただし途中の数カ所で、大雨により崩れた箇所の法面工事が行われている。やはり険しい山道なので、冬期は通行止めになるとのこと。やがて、道はいったん湖面近くまで降り、なにやらそれらしき集落が見えてきました。
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ここにある「ヤンマー家庭工場」という施設がとても貴重なのだけど、それは後から知ったので、この時は見に行かなかった。心残りであります。
かつては陸路が狭く、湖からしかこの集落には入れなかったという。今でも冬期は閉鎖になる道。とは言え、陸の孤島というのは、あくまでも船に乗らない人の理屈です。船さえ使えばどこへでも自由に行ける。ここには海無し県であることがウソのように、漁村の風情が漂っています。
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後で聞いたところによると、ディーゼルエンジンでおなじみの「ヤンマー」の創業者、山岡孫吉氏は、長浜市高月町のご出身。
山岡氏は大阪でヤンマーを創業した後も、出身地北近江の人たちが、家族で分担して部品加工が行えるようにと、小さな作業場群「家庭工場」を作り、地元の人たちの生活を支えた。ヤンマーって、そんな素敵な歴史を持った会社だったのだ。
その工場群は長浜市の石道集落と、ここ菅浦集落に建てられた。その作業場の数棟が菅浦には残っており、一部は今も稼働しているとのこと。
ココロザシある企業家を世に送り出した地域は、幸せですね。
そして、長浜へ。
この時期の日は短いのです。夕方4時を回る頃には日が山の陰に隠れ始めたので、高速道路で長浜へ。走り慣れた道、通い慣れた路地、そしていつもの宿にチェックインして、いつもの居酒屋へ向かう。
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とにもかくにも、カラダが冷え切っているので「鴨の小鍋」です。
この時期の琵琶湖は鴨料理なのですが、ラムサール条約により、琵琶湖での鴨猟は禁止されています。しかし料理の伝統だけは残そうということで、鴨は新潟から送られてくるとのこと。新潟の鴨くん、故郷を離れてかわいそうではあるけれど、美味しくいただきますからね。
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そして肝心の鴨鍋は、興奮して、湯気の舞い踊る動画でしか撮っていませんでした。noteって、動画はそのまま載せられませんよね?。
青いネギと鴨だけのシンプルな小鍋に、身も心も温まりました。
後はホンモロコの塩焼きと、鴨鍋をおじやにしていただいて、この夜は早めに撤収。翌日の「巨樹巡り」に備えます。
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北近江において、巨樹は神さまなのです。
ここだけの話ですが、僕には巨石や巨樹を見て回るという、人には言えないくらい地味な趣味があります。旅の途中で不意に大きな木に出会うと、眺めているうちに一時間くらい経ってしまうこともあります。
巨樹を見ていると、落ち着いた気分になるのはなぜだろう?
ある程度の年齢になると、身近な人が亡くなるようになる。それを繰り返すうちに、このような、何百年も生きる存在に憧れを抱くようになるからかもしれない。しかもその巨樹は、今は亡き親しい人たちが、元気だった時代を知っている。それどころか、遙かな昔の風景を、じっとここで見てきたわけです。
もしも巨樹と話ができるならば、いろいろな昔話を聞かせてもらいたい。
で、北近江地方には巨樹を敬う野神信仰があると聞き、以前からじっくり回ってみようと思っていたわけです。特に今回は、巨樹や野神信仰に詳しい方が案内してくれるとのこと。とても心強い。
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右は、全国にも希有であろう北近江の巨樹ガイド。サンライズ出版・刊、2000円。
それにしてもだ、この地域で「野神さん」と呼ばれ親しまれている巨樹の数は百を軽く越えるのではないだろうか? 僕が絶賛して止まない地域情報誌『み〜な』を開いてみると、とても一日やそこらで回れる数ではない。
しかもその日は午後から雨の予報だった。であれば入門編として、効率よく回ることのできる長浜市の雨森集落(素敵な名前だ)、高月、柏原(かしはら)あたりに行こうということになった。
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歴史ある地域には、巨樹と国宝と紅葉。なんと地味で贅沢な旅でしょう。
まず初めに到着したのは、長浜市高月町の渡岸寺(どうがんじ)。
門前では、渡岸寺野神と書かれたケヤキの巨樹(というほどでもない大きさではあるけれど)が出迎えてくれた。幹には御幣が飾られている。
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ここでいきなり寄り道。この渡岸寺の観音堂には、平安時代初期に彫られた国宝の十一面観音菩薩立像が安置されているという。これは拝んでおかねばなるまいて。
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ただし、観音像は撮影禁止なので、以下のサイトをご覧ください。
左足に体重を乗せて、ややカラダをくねらせたお姿。これほど艶めかしい観音さまにはお目にかかったことがありません。
それにしても滋賀県には国宝が多い。僕が住む神奈川県には鎌倉の大仏さまだけだというのに、滋賀県内をクルマで走っているだけで、「→国宝○○寺」というような案内板をたびたび見かける。
こうして巨樹を探しながら、観光客の少ない山里を歩いていると、山里の風景の中に国宝の観音さま。外に出れば、そこは浅井長政や浅井の三姉妹が過ごした小谷山の麓。かつては、あの山の上に壮大な小谷城があったわけか。
北近江を歩いているだけで、僕が提唱する「地味な旅」は、とても奥深くゴージャスなものに変身します。
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集落の真ん中に大銀杏。
この辺り、クルマで走っていると広大な田んぼの風景が続く。そして時折、狭いエリアにギュッと民家が集まって集落を形成している。
そのような集落に、それぞれ野神さまがおられるようだ。
次に訪ねた集落は、その名も心地よい雨森(あめのもり)集落。その真ん中に、遠くから見ても飛び抜けて大きな銀杏の巨樹があった。
雨森と呼ばれるくらいだから雨が多いのでしょう。その豊富な水が、樹木を大きく育てる、のかもしれない。
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なお、雨森地区は、江戸時代中期の儒学者であり、朝鮮との善隣友好で活躍した雨森芳洲の出身地。ゆえにこの地には、東アジア交流ハウス雨森芳洲庵という施設がある。そして、その入り口にもケヤキの巨木。
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なお、芳洲庵の館長は、雨森の週刊ニュースを集落の全戸に配っている。毎週発行で実に44年も続いているという。すごい人がいるもんです。
風景に溶け込む野神さまが美しい。
雨森からクルマで少し移動し、高月町高野の杉。
少し開けた場所にあり、真っ直ぐな道を従えて立つ姿は、まるで時代劇の一場面のようです。
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ご覧の通り、どの巨樹も御幣と共に祭られており、8月のお盆の頃に行われる地域ごとの祭礼の日には、巨樹を囲んだ鉦や太鼓の行列を見ることができるという。そのような素朴なお祭りのようすも見たいけれど、今の時期は紅葉も重なるので、お得感はマシマシでした。
ついでに言うと、この辺りは観光客が少ない割に桜の名所も多いようです。つまり四季折々、来なくてはならないというわけです。
そして最後に紅葉の名所へ。
ここまで来たら、鶏足寺(けいそくじ)まで行きましょうということになった。
長浜の観光ポスターにもたびたび登場する、紅葉の名所です。
上の写真の道を、真っ直ぐ向こうへ。右手には、小谷城に連なる山々。
関ヶ原の戦で敗れた石田三成は、この山伝いに石道方面に敗走したという。石道の隣、古橋は三成の母親の出身地。目的地の大坂城とは逆の北へ敗走した理由は、勝手知ったる土地だから、ということなのだろうか? おのれ、家康うぅぅ。
いずれにしても木之本や高月の界隈は、遠い過去の話だと思っていた日本史上の出来事が、とてもリアルに迫ってくる地域でもあります。
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以上。地味に巨樹を巡っていると、こういうご褒美のような風景に出会うこともあるという、とても良い経験でした。
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山を下りた頃に雨も降り出して、北近江巨樹巡りのデビューは無事に終了。
今回は詳しい方に案内していただいたので、無駄なく回ることができました。これが一人だったら、一本の野神さまに出会うために、一時間以上はかかっているはずです。
いかに地元の野神さまとは言え、住所まではわからないのでカーナビに頼ることはできません。最初は鉄道駅近くの神社仏閣を目指して行き、その周辺の巨樹を見て回るくらいが入門コースとしてよさそう。
歩いて回るには、ほかの巨樹との距離が離れすぎている。とは言えクルマを使うほどの距離でもない、という場合には自転車が良さそうです。ビワイチで走りに来ている人は、ついでに寄り道してはいかがでしょうか。
ただし本気で見て回るには、宣伝するわけではないけれど、この投稿の途中で紹介した2冊のガイドブックは必携です。
この辺り、人知れず咲く桜が多いように見受けられます。中にはエドヒガン桜の巨樹もあるらしいので、来年の春が楽しみになってきました。次は自転車を持ってこようかな。
おしまい。