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圧倒的な新緑を見に行く〜雨の京都市。

ゴールデンウィークに入る前に、京都にて打ち合わせが一件。半日ほどで終わってしまう内容なので日帰りでも行けるのだけど、その前後に行きたい場所をくっつけて、友人に会って、などと考えているうちに三泊の予定になってしまった。
あれは5年ほど前だったか、この時期に京都に来たことがあり、京都御所の青もみじがキラキラしていて、若芽色の美しさに驚いたことがあります。あれ以来、桜よりも紅葉よりも、新緑だけは可能な限り京都で見ておこうと決めたのでした。
何より、桜のシーズンを終えてホッと一息ついた京都の街は、国際観光都市であることを忘れ、普段の生活を取り戻したようなオモムキがあって好きなのです。とは言えコロナも明けたし、今年はどうなっているのかな。

到着は日曜日の夕方。どこにも予約は入れていなかったので、お一人さまでもふらりと入れそうな「にしんそばの総本家」を訪ねました。うわ、空いてるじゃん!

南座の隣という観光地のど真ん中にあって、四条大橋を見下ろすこの環境は奇跡です。
にしん蕎麦にも、たまに禁断症状が現れるんです。

ということで、幸先の良いスタート。ただし、滞在中はずっと雨の予報が出ていました。

デヴィッド・ボウイが通った庭を再訪。

翌朝、目覚めると、雨は午後から降り始めるとのこと。仕事の予定は午後だし、行けるな、ということで、僕にしては珍しく早い外出。宿の近所の喫茶店でモーニングセットを済ませ、あのお寺に向かいました。

このお寺は五山の送り火の「舟形」のすぐ近く。静かな住宅街に隣接しています。

あのお寺とは、京都市北区西加茂にある正伝禅寺。臨済宗南禅寺派。
デヴィッド・ボウイが足繁く通っていた禅寺として知られており、日本公演があるたびに京都に来てはこの寺の庭を眺め、やがて京都に来るために休暇を取り、この寺に現れたという。
いったいどんなところなんだろう? と、僕が初めて来たのが2022年の5月下旬。思いのほか参道は長く、深い緑に覆われていて、これは改めて新緑の季節に来てみたいと思ったものでした。そして何より強く印象に残ったのは、この静けさ。

まだ少し時期が早かったのか、開ききっていない青もみじ。しかしそれで良いのです。気に入った場所には四季折々繰り返し行くのが僕の流儀。
参道のゆるやかなスロープを5分ほど、ゆっくり登ると本堂が現れる。
デヴィッド・ボウイも叩いたかもしれない、拝観希望の銅鑼。拝観料は400円。

京都市内でのバス移動について。

ここまで来るには地下鉄烏丸線の北大路下車。北大路の大きなバスターミナルから「西加茂車庫行き」に乗り(同じバス停から同じ系統でいろいろな行き先が出ているけれど、「西加茂車庫行き」に乗らないと全く方角の違う山の中に連れて行かれます)、「神光院前」で降りて、住宅街を10分ほど歩けば到着、と。
こう説明するとメンドクサそうだけど、デヴィッド・ボウイも自分で地下鉄の切符を買って来ていたという。やがてレンタカーをひとりで運転して来ることもあったらしい。

ところで地下鉄が通っていない京都市北部を自由に動き回るには、市の中心部のバス停から乗らず、地下鉄をうまく使いながら、中心部から離れた駅のバスターミナルで乗り換える方法が最もスムーズに動けるように思う。たとえば地下鉄烏丸線の北大路や国際会館、あるいは出町柳まで出てバスに乗り換えると時間も稼げるし空いています。京都駅前や四条通り周辺のバスの混雑、というか、もはやオーバーツーリズムと言われる混雑緩和のためにも、この方法をお勧めします。
クルマでの移動は? 路地や一方通行、そして渋滞の多い街の中心部で、自由に動き回る自信はありません。クルマはいつもホテルに停めっぱなしです。

ここで何時間過ごしても、退屈しないであろう静けさ。

さてと正伝寺の話に戻ります。
拝観料を支払い、方丈の前に立つと、前回来たときに頭の中に刷り込んでおいた、この眺め、この構図が現れる。空は霞んでいるのかと思いきや、借景の比叡山にも、くっきりと新緑のまだら模様が見えます。

「獅子の児渡し」と名付けられたこの庭園は、江戸時代初期、小堀遠州による作庭。

去年の5月末には、枯山水のツツジの刈り込みに赤い花が咲いていましたっけ。春には塀の向こうの枝垂れ桜。秋には紅葉。それに比べて今はいちばん地味な季節なのかもしれない。けれど、紅葉と同じくらい青もみじが好きな僕にとって、この静かなシーズンオフはかえって好都合でもあります。

ちなみにこれが2022年5月下旬のようす。晴れるっていいですね。

応仁の乱で荒廃し、放置されていたこの禅寺は、徳川家康によって再建されたとのこと。再建にあたり、関ヶ原の戦の直前に落城した家康の居城、伏見桃山城の部材を利用したそうです。これもまた、家康による弔いの形なのだろうけれど、廊下の天井には自刃した武士たちの血の跡や手形が残っていて、少し怖いのですよ。

方丈そのものが重要文化財で、中は撮影禁止。方丈の襖絵も重文で、狩野山楽筆。

デヴィッド・ボウイは、この庭のどこが気に入っていたのだろう? 今となっては聞くことができないけれど、この静けさではないかと勝手に想像します。
とにかく、ここの静寂はクセになります。とは言え全くの無音ではなくて、風が吹けば木々はざわめくし、ウグイスも鳴いている。遠くの方からは宅地造成の工事の音さえ聞こえてきます。しかし、それらの音が、かえってこの静寂を強調しているとさえ思えてくる。
拝観料を払って静寂を買っていると言ってもいいくらい。日が暮れるまでいても退屈しないはずです。しかも、僕がいた一時間ほどの間にやって来た観光客は、外国人のカップルひと組だけでした。

参道を少し離れると、このような竹林を眺めることもできます。

さてと、そろそろ現実に戻って、仕事に向かいます。

雨宿りで出会った伊藤若冲。

翌朝も雨は上がっていた。しかし友人の仕事場を覗いた後、同志社大学の近くを歩いているときに降り始める。
傘を差して歩くのも鬱陶しいので、どこかで雨宿りできないかな、と思ったら「相国寺」という、京都五山に属する広大な寺があった。
ちょっと待ってくれよ、相国寺の住職って、たしか18世紀には伊藤若冲のパトロンじゃなかったかな、などと思い出したところで『承天閣』という名の美術館を見つけた。答え合わせで入ってみたら、そこには青もみじのオミゴトな回廊があった。

『承天閣』の入り口。ここの青もみじも美しい。
庭の写り込みをうまく使った回廊。

やはりそうなのだ。伊藤若冲作、国宝の『動植綵絵』全三十幅は、制作当初この寺に寄進されたもの。しかし明治維新政府の廃仏毀釈から逃れるために、すべて宮内庁に贈られた、はず。

この眺め、紅葉シーズンには真っ赤になるのだろうか?
晴れていれば、この青もみじはキレイだっただろうな。

というわけで若冲の作品は、鹿苑寺(つまり金閣寺)の障壁画二点しか展示されていなかったけれど(若冲画のハンカチだったらたくさん売られてます)、思わぬ雨宿りでホンモノを見ることができてラッキーでした。しかも美術館を出たときには雨は上がっていたし。

行列には並びたくない。できれば予約に縛られたくない。

以上。雨と仕事の合間を見ながらの都見物ではあったけれど、移動の途中に見た御所の新緑も、さすが京都というオモムキでした。ゴールデンウィークが明けた5月中旬〜下旬が、最も美しい頃かもしれません。

気になる混雑具合について。たしかに混雑の名所はコロナの前の様相です。以前は当日の予約でも入れた店が、数日前の予約じゃないと入れなくなっていたりするので要注意です。しかし、予約のために行動が縛られるのも本末転倒ですよね。
京都では、「あえて予約を取らない」という名店に出会うことがあります。前述した「にしん蕎麦」の店も予約はいらなかったけれど、これからは、そういう店を開拓して行くのも楽しいかもしれない。しっかり予約しておく店と、予約の要らない名店との使い分け。

「ウチは予約は取りません」という店の代表格。池波正太郎さんも絶賛した、創業140年のおでん屋さん。場所は書かないので探してみてください。すぐにわかります。開店時間は17時。

京都では、ホテルの朝食は取りません。素泊まりです。なぜなら、近所の喫茶店のモーニングセットを食べたいから。しかし、いつも行っていた喫茶店には、モーニングセット目当ての行列ができていたのには驚きました。
行列してまで喫茶店に入りたいか? と問われれば、答えはもちろん「いいえ」です。ということで、今回、ほかの喫茶店に通ってみました。ここも有名なチェーン店の本店らしいのですが、その割にご家族で営業していそうな、温かい雰囲気。
開店時間の朝7時には最初の客として入れるものの、モーニング目当ての地元のお客さんで、あっという間に席が埋まります(とは言え少しは空いています)。これもまた、京都の喫茶店文化というものなのでしょうか。

今回、2日間お世話になったモーニングセット。お客さんには地元のお一人さまが多いようです。スポーツ新聞に読みふけるおじさんたちも普通にいて、昭和に戻ったような気分にさせてくれます。

これからは、京都のモーニングセット巡りもアリかな。




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