私のようにベースのネックグリップに関してうるさい客は作る側からすれば迷惑でしょう。5弦は1990年代の典型的な細ネックに戻してくれればいいのですが、すでにそうした治具は廃棄されているのか、トレンドに反しているため誰も作ってはくれません。といったところがマーケット全体に対するふわっとした感想です。なので、弾き心地が許容できるベースをあれやこれやと試しているのですが、その上で鳴らしたい音が出るものと、実際のところまだ出会っていません。
個人的にはボルトオンネックの楽器に大きな不満は無く、整備しやすさのメリットの方が大きいと感じます。セットネックの楽器に魅力を持つことも多かったですが、少数派ですし、古典楽器のように仕上がってしまっていますから調整にも気を遣うことでしょう。製作するのも大変で高額になります。
ところが、スケールについても、ネックグリップ同様(一言でいえば幅だけなんですが)、やってみたいことがあったりする場合、根本から再設計となれば途方もなく手がかかるから製作家に依頼しにくいです。門前払いといった勢いで嫌がられます。
そうした面からするとスルーネックは作りやすいのではないかと思うのは、アレンビックがどのような注文にも応じられる体制を作っているのが証左でしょう。もっとも、価格設定が全てを飲み込めるようになっていますが。弦間設定だって如何様にもなるのはブリッジさえ自社製だからです。とはいえ、私たちにはヒップショットのように細かな弦間でラインナップするメイカーがあるので、そこは心配いらない。やっぱりネック設計の自由度が、スルーネックの最大のメリットと言えるのではないでしょうか。
米国にはスルーネックでしか作らないWyn Guitarsというメイカーがあり、ルシアー(兼代表)のランドール・フルマーとは2017年11月からやり取りを行っていました。完全なワンマン製作であり、ブランド運営には少数のチームがサポートするようになっていて、ウェイティングリストに名を記して頂いた後は進捗をダイアナ・ガルシアから伺っていました。
Wynベースは国内で少数の流通があり、数本を弾いたことがあります。それらは三木楽器が入れたものと思います。製作本数が個人によるものなりに少なく、卸は不要とのことで、代理店にはなっていません。私のような直接の製作依頼と、販売店による在庫確保の注文は同列に扱われ、長蛇の列ができています。私には5年待つよう言われました。
全世界を巻き込むコロナ禍による遅れは否めないと思いつつ、2023年を迎えると5年間が過ぎていることに気付きました。Wynはインスタグラムのアカウントに製作風景を定期的にアップしており、それを楽しみにしていましたが、昨年6月を最後に更新が途絶えています。そうした心配もしていました。
私にとって理想のベースを作って貰える最後の切り札と思っており、その時に間違いの無い注文を行うために、いくつもの「試し弾き」、もちろん所有して実践の場で行うものですが、を繰り返してきました。5弦でいくか、6弦で行くか、両方なのか、その辺りは迷っていますが。
実は6/29付けで今はダイアナ・フルマーとなった人物から病に倒れた夫について書かれたメールが来ています。癌宣告を受け闘病の中、力を振り絞って楽器製作は続けて来たものの、ついにそれができなくなったと謝罪しています。ランドールは、世界中のベーシストが夢想する楽器の実現を楽しみにしており、それは活力の源として生きるために必要なものでした。しかし今は家に居り、初めて安らかな時間を過ごしているとあります。このような言い回しは、英語が母国語でない人間にとって正確な解釈が難しく、deep learningの翻訳機にかけても、正しい日本語になりません。従って事実判断は間違っている可能性がありますが、しかし述べていることは「あなたのベースはもう作れません」という意味です。これは受け入れるしかありませんし、ご本人・ご家族の平穏を祈るのみです。まだ返信をしておりませんが、この祈りと、幾ばくかの哀しみを表明するつもりでいます。
Wynベースは、手仕事でできており、細かく検証するまでも無く、あちこちに正確さを欠いている部分があります。完全な直線や非の打ち所のない曲面を、当たり前にCNCがこなし、ハンドメイドでも大きな治具と専門の職人による分業で作られるものに較べたら、まるで勝負になりません。
だけど触れるたび、音がいいなと思います。それはもう、作り手の精神、願いと言っていい領域かもしれません。またリクエストを具現化する能力は非凡に感じました。木材が音を決める、その木材の音を確かめるには、その材を指板として使った楽器を実際に製作して音を聴く、といった話は理に適っていて興味深いものでした(木片を床に落とした時の音も参考になるようです)。
本当なら人生最後の楽器として使いたかった程ですが、それは諦めることとなりました。誰か新しい職人が、こうした思想を引き継いでくれないかと願います。設計の自由度が高い構造にして、ジオメトリーがユーザーフレンドリーであり、かつ音の良い楽器を常識的な価格で提供して頂けると嬉しいです。ルシアーが野心的であるほど、その道がやや遠のくように感じます。マーケットを見ないで作ってくれる製作家が現れることを期待します。