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デザイン、デザインってなんだ

BeeCruise株式会社デザイナーの伊東です。

タイトルを見て、頭に宇宙刑事ギャバンのメロディが流れた貴方とは良い友達になれそうです。

さて、noteを始めて2回ほど記事を書きましたが、プロダクト愛の話だったり、インドからタブラ買う話だったり、「あのさ、いつデザインの話すんの?」と思ってる方がいらっしゃるかも知れません。

最近では、デザイナー界隈に限らずIT現場あるあるのような話になってきていますが、「デザイン」というワードがあまりにも広義すぎて、何をもってデザインと言っているのかにより、話の論点が全く別のものになることがあります。

「この人の言っているデザインは、ここまでの範囲なんだな」

「この人の言っているデザインは、スタイリングを含んでるんだな」

など、その人の中にある「デザインの定義」、またはどんな文脈で発言したデザインなのかを探る必要があります。そこの認識を合わせておかないと、後々大きく話が食い違ってくるので、最初に確認しておいた方が良いケースが多いです。

デザインってなんだ?


デザインとは「設計」である。

デザインとは「問題解決」である。

デザインとは「未来への問題提起」である。

など、ここ十年二十年、デザイナーさえも色々としっくりくる言葉を探している感じがあります。一つ言えることは、作業の中に意匠を含んだとしても、言葉として「デザイン」と「スタイリング」は分けるべきであり、ここの認識を分けずに話を進めてしまうと、不毛なトラブルの原因になり得るのです。

昔から、自分の職種を人に伝える時にこんなやり取りが多くありました。

友「今、何の仕事してるの?」
私「デザイナー」
友「そうなんだ!じゃぁ絵とか描くんだ?」
私「いやー、絵は自分ではあまり描かないな」
友「え、でもデザイナーなんでしょ?」
私「うん、webサービスとかアプリとかを作ってるよ」
友「えっ?」
私「えっ?」

以前に読んだ書籍の中に興味深い一節がありました。

“「問題解決」と「自己表現」。その意味するところにおいて180度異なるデザインとアートであるが、なぜ日本ではこれほどまでに互いに混同されてしまうようになったのだろうか。

私は図工教育にその原因の一端があるのではないかと考えている。つまり小学校から高校にかけての図工の授業の中で、絵や粘土が上手だったクラスメイトが、気づけば芸術系の大学や専門学校に進み、その後「デザイナー」として働いているから無理もない。”


出典:『デザイン思考の先を行くもの』各務太郎 著

今では芸術系の大学や専門学校でも、講義の中でサービスデザインや、アートやスタイリングではない「デザイン」の授業を積極的に行っている学校も多くなったと聞きます。しかし、一般的な「デザイン」の認識が変化するにはもう暫くかかりそうです。

正解を求めるのではなく認識を合わせる

結論を言ってしまえば、時代と共に役割は流動的であり、組織によっても個人によってもデザインする幅はそれぞれ異なるので、無理に日本語に訳さずに「デザインする」で良いのではないでしょうか。

ただ、そのワードを使って何か一緒に取り組むチームの中では共通の認識を持っておいた方が良いでしょう。最近はプロジェクトを始めるタイミングで、UIパーツの名称に対する認識を合わせておくことがあります。

「メニューとは何を指すのか?」

「スライダーと呼ぶのか、カルーセルと呼ぶのか?」

「メインビジュアル、タイトル画像、ヒーローイメージ、どう呼ぶのか?」

などなど。

これはプロジェクトとしてやるべきことは正解を導き出すことではありません。間違いか、正解か、だなんてどうでもよかったことで、そういった言葉と同じく、「デザイン」という言葉についても、関わる人の間で共通認識を持たせられれば良いのだと思います。

言葉は時代と共に生きている

デザイナー採用の募集要項を作っている際にも、デザイン周りの言葉は非常に敏感だなと思うときがあります。インターネット黎明期より暫くは、webに関わるデザイナーで一般的な職種は、

ウェブデザイナー

でした。これはもちろん今でも使われる言葉で、役割が細分化してきた現在だからこそ使われている言葉でもあります。現在は、ウェブデザイナーというと皆さんはどんな職種を思い浮かべるでしょうか?グラフィカルなバナーデザインはウェブデザイナーの仕事に入るのか、コーディングはどの程度のスキルを持っていればいいのか、JavaScript開発は、サーバへのデプロイ作業は…。人によってはウェブデザイナーという肩書きを持ちながら、経理作業や商品撮影を兼務している人もいるでしょう。

“より多彩な能力を持つ新しいタイプのデザイナーも含めて、シリコンバレーではソフトウェアデザイナーを「プロダクトデザイナー」、ときには具体的に「デジタルプロダクトデザイナー」と呼ぶことで意見が一致している。”

出典:『デザイン組織のつくりかた』ピーター・メルホルツ、クリスティン・スキナー 著

この書籍も2017年出版のものなので、もしかして今はもうシリコンバレーでは別の呼び方をされているかも知れません。この書籍の影響か、確かにいくつかの企業の募集要項で「プロダクトデザイナー」と表記されているのを見たことがあります。募集の際にこのあたりのトレンドを押さえておくことはとても大事で、アンテナの高いデザイナーがそこに反応することも考えられます。

「ウェブデザイナーなんて古臭い書き方をしているところには行きたくない」「UI/UXデザイナーなんてワケのわからない表記をしているところには行きたくない」、そんな人も一定数いるのではないでしょうか(個人の感想です 🤭)

ただ、現段階の日本では「プロダクトデザイナー」と言ってしまうと、何となくインダストリアルデザイナーのような、「物」をデザインするイメージが強いと感じます。「デジタルプロダクトデザイナー募集!」と書いてしまうと更にわかりづらく、この字面からアプリやwebサービスのデザインを求められていると直感的に思う人は少なそうです。

このように、言葉は時代と共に名前を変え、役割を変え、流れにそぐわなければ消えてゆくものです。

デザインの役割が拡がるということ

話を「デザイナー」に戻すと、現代ではデザイナーの仕事が徐々に上流工程から求められ、デザイナーの役割も多岐にわたっています。イラストやグラフィックだけでなく、UIデザインなどの制作作業に携わらないデザイナーが多く生まれ、近年のビジネス書で書かれている「デザイン」という言葉は、スタイリングや制作作業は伴わない文脈で使われていることがほとんどです。

友「今、何の仕事してるの?」
私「デザイナー」
友「そうなんだ!じゃぁ絵とか描くんだ?」
私「いやー、今週は外にインタビューしに行ってるよ」
友「はっ??????」

更に「デザイン」という言葉は難解さを増しています。

これはデザイナーとしてはとても喜ばしいことで、事業の中でデザイナーの役割がどんどん拡がっているということです。今、世の中のデザイナーはそのデザインの持つ意味や、力を示すために躍起になっています。この認識が深まれば一般的に「デザイン」という言葉は、今以上の意味で使われることでしょう。そうすれば当たり前のように教育現場が変わります。企業の募集要項が変わります。会社が変わり、社会が変わっていきます。

それは世の中が求める方向に向かっているんだと思います。

結果として混沌とした道を進むのかも知れません。

ただ、デザインの役割が拡がっていくなんて

デザイナーとしてそんな喜ばしいことはないじゃないですか。

デザインとは対話である

特に結論を出したいとは思っていないのですが、私のしているデザインは「対話すること」に似ています。

自己表現としてのモノづくりではなく、作ること、そして提供することが大前提になります。提供する相手がいるのであれば、何が欲しいのかを聞く必要があります。つまりはそれがリサーチであったり、ヒアリングであったり。もちろん私からの質問や提案も出るでしょう。「こんなものを求めているのではないか」「こんな見た目だとどうだろう?」と思いを巡らせることも対話の一つです。

対話の中でお互いの思いをかたちにしていく、そんなデザインをこれからも続けていきたいと思います。

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