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3.11 あの時 私は…

3.11と聞いたらほとんどの大人があの日のことを思い出すことでしょう。

10年前の今日、あの大震災は起こりました。

この記事では当時の私が体験したことや感じたことなどを書いていきたいと思います。

私は当時 中学生でした。 その日は卒業式で、先生方や同級生、在校生にさようならを告げました。

私は当時バンドでボーカルをやっていました。この間、写真を整理していたら当時の宣伝ポスターの試作品とライブ当日(3月11日)の私の画像が出てきました。(10年前の私なので、今と全然違うのでそのまま載せています笑)

画像1

画像2

バンド名はRANK24。RANKというのは、4人いるメンバーそれぞれの名前の頭文字を取ったものです。24はなんとなく響きがいいからだった気がします笑

私達バンドメンバーは卒業式当日から遡ること6ヶ月前、卒業ライブをやりたいという理由からバンドを組みました。

休みの日になると一人のメンバーの家に行き練習をし、時にはステージを借りて練習もしました。楽器は当時中学生だった私達にとってとても高価な物でしたが、私以外のメンバーはなんとか両親に説得をして買ってもらったみたいです。(私はボーカルだったので必要ありませんでした。)

卒業式3日前、最後の練習をしました。私達の演奏はも完全に仕上がってました。ここでいう仕上がっていたというのは、全員がミスをせず演奏できる状態ということです。私も歌は得意ではなかったですが、メンバーに大丈夫と言ってもらえるほど成長はしました。

卒業式当日、卒業式の後、私達は急いで公民館に向かいました。 公民館は卒業ライブのために町にお願いをして借りることができた私達のライブ会場です。開演時間までに準備を済ませお客さん(卒業生やその両親)を待ちました。

すると、嬉しいことに意外と来てくれるじゃないですか!ポスター効果なのか単純に興味があったのか口コミなのかわかりませんが、とても驚いたのと嬉しかったのを覚えています。

私達の演奏は順調に進んでいき、会場がとても盛り上がってきました。

全曲が終えた後、お客さんから「アンコール!アンコール!」と聞こえてきました。もう感無量で今にも泣き出してしまいそうでしたが、なんとか堪えました

その時です…

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ....​


すごい地鳴りを感じました。

地震です 地震です

緊急地震速報が鳴り響きます

すぐに凄まじい揺れは襲ってきました。

マイクを使って避難を促そうとしましたが、そんな余裕はありませんでした。

私が外に逃げようとした時、メンバーは楽器を大切そうに抱えていました。

私が「逃げるぞ!早く!」と言うとメンバーの一人が「さすがにやばいから逃げるか!」と言いステージから降りました。

その時です。

ドーン!!!!!


ステージの天井が落ちました。 私達は恐怖のあまり猛ダッシュで外に逃げました。逃げている最中様々な音が聞こえました。何かが壊れる音、ガラスが割れる音、何かが落ちる音などです。

全員怪我なく避難することができましたが、外に出た後まだ揺れは続いていました。空は不気味な色をしていて、雪をちらつかせていました。

バンドメンバー同士で集まり、「今日はありがとう」と言いました。

あの時は色々な感情が混ざり合っていました。最後まで演奏できなかった悔しさ、まだ治まらない地震への恐怖、家族の安否や自宅の状態への心配などです。

母の車で家に向かうと、道路の様々な所に亀裂が入っていたり、凹凸ができていたりしました。渋滞もすごくしていました。

いつもの3倍以上の時間をかけて家に着くと驚きの光景が目の前に広がっていました。

家自体は無事だったものの、テレビや食器棚、その他色々な物が倒れてしまい、家の中がメチャメチャになっていました。僕が使っていたパソコンも画面が割れ壊れていました。

私は正直、この日がくるまで地震というものがこれほどまで被害をもたらすものだとは考えてもいませんでした。

自然災害は本当に恐ろしいものだと、初めて身に沁みて感じました…

あの当時はニュースを見るだけでもストレスが貯まりました。原発が爆発したニュース、津波の映像、死者行方不明者の報道など とても見ていて苦しかったのを覚えています。

誰もが認識していることですが、3.11ではたくさんの死者行方不明者を出してしまいました。

ビートたけしさんがこんなことを言っていました。

「常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは『想像力』じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ。」

この言葉を初めて読んだ時、その通りだなと思うと同時に意外と気づいてなかったと感じました。

震災の規模を死者や行方不明者の数で表すのは本当はおかしいということに…

死は悲しいものです。。被害に合われた方は望んでいない未来が突然襲ってきたわけですから尚更悲しいです。被害に合われた方のことを考えると、自ら死を選ぶようなことはしたくないですね…

あの日亡くなってしまった方々には、心よりご冥福をお祈りします。

震災はこれからも語り継がれるべきです。当時、震災を体験しなかった今の子どもたちにもあの日のことを詳しく、より鮮明に語り継ぐべきだと考えます。あの日を風化させてはいけません。

長くなりましたが、私が思うことは以上です。

最後まで読んでくれた方ありがとうございました。

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