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やりたいように生きてみろと老犬は吠えて甘えて忙しい。

東日本大震災が起きて
その翌年
宮城県から実家に柴犬がやって来た。

名前は
BRAVE。

「勇敢な」と、父が名づけた。

名の通り、
とても勇敢に立ち向かう姿を、毎日何度も見せてくれる。

老犬であるが故の、
見えないとか、気づかないが日々の7割くらいを占めているようにも見えるが、何かの気配に気づいてしまったら本能が掻き立てられる、習性というやつが、とにかく魅力的。


犬種の特性で
縄張りを守ることと、
主人を愛し続けることに
とにかく毎日必死に生きているようで、


のそのそとスクーターに乗ったおばあちゃんを見かけては門扉越しに吠える。

おはよう!
なのか、
おい、俺の縄張りだぞ!
なのかは
まだわからない。


実家の窓から見えるゴミステーションにゴミを捨てに来たまま、その場で立ち話をするご近所さんが見えたら、
「じゃあ、どーもー」と、話が尽きるその時まで吠え続け、たまに外に出ては実家の敷地ギリギリにまで身体を押し付け、ウォン!ウォン!とか言って、井戸端会議に参加する。


元気だったかー?
しかし、いつまで喋ってんだー
よく話すことあるなー
おい、そこは俺の縄張りだぞ!
俺にも気づけよー!
そんなところか。

勇ましい姿は門扉の間に見える乾燥気味の黒い鼻しか見えないだろうが、
よくまぁ、声が通る。
歌をうたわせてみたいものだ。
映画のSINGのオーディションでも受けたらネズミに気に入られて、即トップミュージシャンだろうに。縄張り意識が強くてちょっとツアーに同行するのは、大変かもしれないけど。

朝の連続テレビ小説を本気で見てる父の右手は、音量プラスボタンの上にいつも乗っていた。
主人をとにかく愛してやまないが、
声のボリューム設定は難しい。



どこかの犬が吠えている。ということ。


そんな、日常の中に響く
誰かの命が生きているという音だということ。


時と場合にもよるとは思うけど、
騒がしい音と感じるか、そうではないと感じるかは、なんというか、心の在り方、だれかの心との出逢い方のような気がしている。
人間の世界から見ると、
動物には人間のような言葉はない。
ワンとかキャンとかウォンとかにゃーとか、それぞれが声を発して、音として話しかけて来る。
自分の中の何かを真っ直ぐに伝えている。


私は、この老犬と過ごす日々で、
ただ真っ直ぐに、ありのままに生きることを目の当たりにした。それが、日常の中に生きる、かけがえのない誰かのあたたかな命が生きているということなのだと、その命の灯火にまあるく手をかざした気がした。


愛おしい瞬間を見せてくれているのだと、老犬が私に教えてくれる。


自分の幸せのために
誰かを求め、誰かの存在に安心し、
自己主張を諦めずに自由を求める。
幸せそうな、満足気な老犬の昼夜問わず見せてくれる寝顔に、

「あなたも、そんな感じで生きてみてはいかがかな」

と、今日も緩め緩めと背中をさすられているようだ。

白い毛が増えて、細くなった足を私の足に乗せ、撫でておくれと催促をする。耳を横に倒し、撫でて!撫でて欲しいんだ!と、頭を床につけて身体を寄せてくる。

ひたすらにたったそれだけ。

しばらくして、欲求が満たされたら
勝手気ままに寝床に帰る。
少しほっといてくれとも感じるほどに誰かの存在なんてしったこっちゃないの姿だ。ツンとデレでいう、前の者のやつ。

生きるって
その位シンプルで、
その位真っ直ぐな方がいい。


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いつどうなってもおかしくない状況ですと、病院から告げられた母への覚悟の見舞いと題した、
この、期限付きの実家暮らし。



入院している母の元へ足を運ぶのも、
もうすぐ3週間が過ぎようとしている。

期限は誰にもわからない。


神さまと母の約束事だから。

誰もが通る道だから、
誰もが通る道だけど、
誰1人同じではないこの道のりを
見せられている私は、


母が生きて来た道のりを
この上ない祝福を持って見守りたいと、今日も淡々と生きる老犬に撫でろとこれでもかと催促されながら思うのだ。


なんて愛おしい日々だと思う瞬間は
日常の中にいくつも溢れているものだ。
見逃すな、私。

今日も真っ直ぐに私を生きるのだ。





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