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腹囲が気になる福井の旅 思わず背筋が伸びる永平寺参拝 19.11.26 08:42

曹洞宗の大本山永平寺。
福井市内からはレンタカーで約30分。
山の中に来たなぁという景色が広がった辺りが永平寺。
駐車場は門前に町営のものがあり結構広い。需要があるのだろう。

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土産物屋がつらなある門前街を進むと永平寺。
荘厳な唐門は永平寺のトレードマーク。とりあえずつかみはOKだ。

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永平寺は横浜鶴見の總持寺と並ぶ曹洞宗の大本山。開山は言わずとしれた道元。
比叡山で修行をした道元はより一層の修行のため中国の宋で4年の修業を終えて帰国。京都で興聖寺を建立して禅の布教活動に入るが比叡山からの迫害で京を追われる。当時の比叡山は僧兵を有する武闘派だ。後に織田信長に焼き討ちにあうのも致し方なしな気がするが。というか、あっちの宗派を迫害して、こっちの宗派を迫害して、ザマァ見ろが正直な感想。
京を追われた道元は相模の波多野氏の庇護を得て、波多野氏が地頭であった越前国へと下ることに。その地に開いた寺が永平寺。

鶴見の總持寺も曹洞宗の大本山ではあるが、明治に輪島から移転してきた總持寺とは歴史の重みが明らかに異なる。
北朝側に寄った永平寺と南朝側に寄った總持寺。江戸幕府により双方大本山と仲裁されたが、大寺院ならばこそ政治に翻弄された歴史だろう。北朝押しちゃったのは今となっては失敗だ。北朝にしろ南朝にしろそういうのに関わるとよろしくないのは現代も昔も同じだな。

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今、目の前に広がる永平寺の伽藍も度重なる兵火、失火により実は江戸時代後半以降のもの。主な堂宇は明治に入ってから。そうなると正直總持寺と歴史的には変わらないのだが、木造による重厚感はやっぱり特別だ。

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巨大な堂宇、回廊でつながった七堂伽藍。
圧倒的な迫力。何ということだろう。
禅寺って質素な印象なんだけれども、なんとなく山吹の匂いがプンプンする・・・というとバチが当たるかな?

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これ建てるのにどれだけかかったのだろうか?封建慈愛ではなく近代になってからの建築となると当然人件費だってそれ相応に発生しているはず。建材だってただではない。
その出処が気になって仕方がない。
京都や奈良の寺院のように国家が絡んだり大名が建てたとなれば話は早いのだが。

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しかしこの、なんとも言えない凛とした空気とか、圧倒されそうな重圧とかって何に寄って創り出されているのだろう?
マジでただ座禅だけをして一生を終わる人もいるのだろうか?
でも所詮政治家でないと、ここでも偉く離れないのだろう。人間だもの。











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