腹囲が気になる福井の旅 建武中興15社、金崎宮と金ヶ崎城 19.11.29 10:57
氣比神宮の参拝を終え、海岸沿いの金ヶ崎城へ。
金ヶ崎は港に突き出た半島までは行かない出っ張りで、ここだけ突如小高い丘になっている。
気比神宮から金ヶ崎への間には観光+市民の憩い用に敦賀の港が小綺麗に整備されているが、金ヶ崎の丘にはトンネルが掘られていて、丘の向こう側には隠れるように北陸電力敦賀火力発電所が稼働している。そして、その奥の敦賀新港という埠頭から、敦賀・新潟館の日本海フェリーが運行している。そういう景色は金ヶ崎に隠されて街からはうまいこと見えないようになっている。観光客目線では風光明媚ないにしえの港街だ。
金ヶ崎城の取り付き口に駐車場があり無料。そこから、細く急な坂道と急な階段を登って登って。心の準備もなく一気に坂道になるところが昔ながらの山城だ。この山道がそのままお城への登城口であり、周辺のハイキングコースになっている。
金ヶ崎城の中腹に福井県内では2つ目、藤島神社以来の建武中興15社にして官幣中社、金崎宮がある。
金崎宮は南北朝時代の恒良親王と尊良親王を祭神とする。
つまり、一度京都から追い出した足利尊氏が九州から戻ってきて、迎え撃った楠木正成が湊川の戦いで敗れて戦死する。ビビった後醍醐天皇は比叡山に逃れた後秘密裏に足利尊氏と和睦。じゃまになった新田義貞に自分の息子恒良親王と尊良親王をつけて北陸へと追いやる。
そんな恒良親王と尊良親王、新田義貞が北陸平定でこもったのが金ヶ崎城だったが、室町幕府方斯波高経の軍に包囲されてしまう。新田義貞が援軍を頼みに城を抜け出している間に総攻撃となって、新田義貞の嫡男新田義顕ならびに尊良親王は自害、恒良親王は捕縛されて金ヶ崎城は落城する。京都に連行された恒良親王も一節には毒殺されたとかで、明治になって恒良親王と尊良親王を祀った神社が建てられた。
それが金崎宮で、官幣中社。同じ建武中興15社でも、楠木正成を祀る湊川神社、新田義貞を祀る藤島神社よりも社格が上なのはそういう流れで。
長い石段を登った途中にある金崎宮。
恒良親王と尊良親王なんて正直あまりメジャーではない人たちを祀っているが、神社は趣があり決して大きくはないけれども立派だ。
境内はソメイヨシノがたくさん植えられていて桜の名所となっている。春に来ればいいんどあろうが、なかなかそうも行かないところがサラリーマン旅人の悲哀だ。
わがまま放題の後醍醐天皇は、楠木や新田だけにとどまらず、自分の息子達まで迷惑のかけ放題。鎌倉宮の護良親王のことは知ってはいたが、北陸の地で命を落とした息子たちがまだいたとは・・・。自分が助かるためなら何でもする天皇だったんだなぁ。
新田義貞も自分の留守中に落城するという失態。どうも新田義貞は鎌倉攻め以降失態だらけのような気がしてならない。南無八幡大菩薩、持っていた運のすべてを使って鎌倉幕府を倒したのなら運命だ。藤島で流れ矢に倒れたというのも、どこかに焦りがあったのだろう。
南北朝の後、しばらく歴史から姿を消した金ヶ崎城だが、戦国時代に再び脚光を浴びる。
越前、若狭を治めた朝倉氏は織田信長の上洛の命令を無視したために総攻撃の憂き目に。あっさりと開城した金ヶ崎城だったっが、朝倉氏としては、盟友北近江の浅井氏と連携し金ヶ崎城の織田信長を挟み撃ちの計画。も、事前に露見し信長は一目散に京都に逃げ帰る。その時撤退の織田軍のしんがりを務めたのが木下藤吉郎であり、後に裏切り者になる明智光秀であった。
朝倉氏にとってこの時信長を取り逃がしたのは痛恨の極み。後に再び攻め上ってきた信長にコテンパン。一族郎党滅亡の憂き目に。
そんな金ヶ崎城も今では地域の人のちょっときついハイキングコース。
尊良親王の墓などもキチンと整備されているけれども、あまり見向きをされている感じはしない。
はぁはぁと息を切らせてやっとたどり着いた金ヶ崎城跡の石柱後も言われなければ城跡を思わせるようなものは何もなかった。
この小高い丘自体が天然の要害だから、石垣もない、堀もないとなると、城跡だなぁとは思いづらい。
信長軍撤退のしんがりを務めた藤吉郎はやがて関白に。
ともにしんがりを務めた光秀は折角逃した信長を手に掛けることに。
ここまではそれぞれが皆同じ道を歩いていたのに。
何の歯車がどう狂ったのか、そういうことを考えるのが楽しくて歴史好きはやめられない。
色々あったが、明智光秀を主人公に大河ドラマも始まることだし。
そんな金ヶ崎城、高みから望む海の風景は美しかったなぁ。
火力発電所というロケーションは今ひとつだったけれども。
城の頂上付近に月見御殿という跡があった。風流人はここから月を眺めていたのか。当然その頃は発電所はなかったはずで(多分)北陸の日本海、裏日本に上がる月・・・いい感じだっただろうな。北陸には太陽よりも月が断然似合う気がするから。
日本の歴史に跡を残す金ヶ崎城。
実際見てみると微妙な感じだけれども。
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