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腹囲が気になる福井の旅 敦賀の街散歩 19.11.29 13:47

敦賀のl赤レンガ倉庫でランチを食べて、腹ごなしに敦賀の街を散策した。
敦賀は越前国なのだけれども、最近の観光行政区分では若狭と関係が深い。
平安時代までは割と平和な地域であったが、新田義貞がやってきたり、織田信長がやってきたりとよそ者により何かと騒々しくなる。
桃山時代には短い間であったが最近何かと人気がある大谷吉継が5万7千石で統治していたりもした。
江戸時代には北前船で栄え、戦前まではシベリア海路の日本の玄関としての顔もあった。

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シャボン玉のように時折歴史に顔を出しては姿を消すを繰り返す感じなのだが、今はきっと消えている期間。金沢から新幹線が延伸してきたらどうなるかはわからないが、それが最後の浮上のチャンスかも知れない。

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なんて思いながら敦賀の街を散策してみた。
福井県の敦賀といえばそこそこなネームバリューだと思うのだが、街は思いの外小さい。もっとも港の周りを少し歩いただけなのだが。
観光の施設としては、気比神社や金ヶ崎城の他は赤レンガ倉庫と旧敦賀湾駅舎の2つ。港にボードウォークなどもあるのだが何しろ見どころが少ないのが残念。

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観光の港というよりは水揚げの港なのかな?
越前ガニは圧倒的なコンテンツだろうし。

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すでに午後、競りの終わった市場は呑気なものだったけれども。

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今の時代、敦賀の街を歩いてみてもここが昔大陸に開かれた日本の玄関であったとは思えない。
近海漁業の港町でしか無い。
そんな街に新幹線を停めてしまっていいものだろうか?いいも悪いもないのだけれども。

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街散策を終え赤レンガ倉庫の駐車場に止めていた車まで戻る。
街から少し離れた気比の松原というところまで車で移動。
日本三大松原という事になっているのだが、茅ヶ崎育ちのオイラにとって海岸沿いに松原があるのなんて当たり前の光景。
万葉集にも読まれているらしいが、そりゃ京都の人間にとっては物珍しかったのかもしれないが。

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牧歌的で住みやすい、いい街だとは思うけれども敦賀ねぇ微妙だなぁ。
音が駿河に似ているからか、字面が舞鶴ににているからか、印象には残るのだけれども。
冬は雪も降るみたいだし、なにかもうひと踏ん張りしてもらいたいところだが。



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