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【長野県高山村】没後400年、晩年の福島正則を偲ぶ旅 福島正則荼毘の場所 24.10.19_10:40

 戦国時代、秀吉の子飼いとして活躍した福島正則は賤ヶ岳の七本槍に挙げられる武闘派だったが、石田三成とは仲が悪く、関ケ原の合戦では徳川家康の東軍に与して安芸広島に50万石ほどの領地を得た。

 それもつかの間、大阪の陣が終わり徳川家康が死んだ早々、広島城の無許可修繕を咎められ信州高山に減俸転封。

 戦国時代の風雲児は、この地で命を閉じた。


 問題はその後。

 幕府の検死係が到着する前に、家臣の津田四郎兵衛が正則の遺体を火葬してしまったため、福島家はお取り潰しに・・・。

 なぜ、幕府の検死係を待てなかったのか・・・必要ないとでも思ったのか。

 苦楽をともにした家臣が、腐敗する遺体を幕府に見せたくなかったのかもしれない。

 嫡男もいないし、断絶は覚悟だったのか?

 家臣も含めて時代が読めていなかったってことは無いだろうし。

 焼いちゃいましたと告白したときの幕府の役人の面は見ものだったろうな。


 そんな福島正則を火葬した場所がりんご畑の真ん中に残っている。

 荼毘所となっている場所が、ホントかどうかはわからない。

 けど、こんなのどかな場所で秘密裏に焼かれた遺体。

 荒武者の最後にしては寂しすぎる気もするし、それもまた人生という気もする。

 秀吉の子飼いじゃ大した出自じゃなかったろうし。

 武から文へ。幕藩体制も含めて、時代が変わる瞬間だったのかもしれない。

 車は近くの八幡宮の境内に停めさせてもらった。南無八幡。

 路駐でも問題なさそうだけれども・・・






 

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