【山梨桜散歩2日目】甲斐武田の菩提寺願成寺に武田信義の墓参り 22.04.06_10:20
武田八幡宮からも王仁塚からもほど近いところに武田 信義の菩提寺願成寺がある。
武田信玄の菩提寺が恵林寺で武田 信義の菩提寺が願成寺。
なんでそれぞれ別々なんだろう?一族でずっとっていう発想はなかったのかな?
そういう時代だったのだろうか?詳しいことはわからないけど(笑)
宝亀2年(771年)、祇園寺の末寺として京都の権大僧都心休了愚法印が開創したらしいので、歴史はなかなかのもの。
後に武田家始祖武田信義が堂宇などを整備したらしいのだが、武田家滅亡時の天正壬午の乱や慶長12年の火災で時報を焼失。
近世になり再興されたそうなので、並ぶ堂宇はかなり新しい。
堂宇は新しいけれども、武田 信義の墓は今も残る。
大河ドラマ鎌倉殿の十三人だと、いわゆる八嶋智人が演じていました。
桜に囲まれた武田 信義の墓はこじんまりとしているけれども春爛漫な感じ。
桜は後植えだろうから、当時の墓はどんな感じだったのか想像もつかない。
しかし、山梨はどこに行っても武田、武田ですわ。
武田信玄だけに限っていないところが武田の凄さを思い知らされる。
鎌倉時代以前からの領主だからね。当然といえば当然なのだろうけれど。
しかし、何百年も続いた家柄で戦国最強とまで言われた軍団があっという間に滅んでしまうって・・・なんとなく大塚家具のような気がするのは自分だけだろうか(笑)