『生き方』稲盛和夫(サンマーク出版)を読む

 ブックライター塾でご縁をいただいた編集者が作られた本を読み終えました。

アマゾンの書籍紹介文
2004年の刊行以来、150万部を突破した不朽の〝ロング・ミリオンセラー〟! 世界16カ国で翻訳、中国でも500万部を突破!
二つの世界的大企業――京セラとKDDIを創業し、JALの経営再建を成し遂げた当代随一の経営者である著者が、その成功の礎となった実践哲学をあますところなく語りつくした人生論の〝決定版〟
大きな夢をかなえるために、たしかな人生を歩むために、もっとも大切なこととは何か?豊かな知恵と経験をもとに、丁寧にわかりやすく説き明かした本書は、世代を超えて幅広い層に読みつがれ、感謝・感動の声を多数いただいています。

『京セラフィロソフィ』や『実学』を読んで少しは馴染みがあったせいか、プロローグの最初の一行から、すうっと自然に身体の中に沁み通っていき、ずんずん言葉が身体の中に打ち込まれて腑に落ちていく感覚がありました。

「懸命に汗をかくことをどこかさげすむような風潮のある時代だからこそ、『人間は何のために生きるのか』という、単純でまっすぐな問いかけが重い意味を持つのだと私は信じています」

まだ1ページと少しのところで出てくるこの一文を読んだとき、世界中のあちこちで、数多くの人たちがそれぞれ、「そうだ、その通りだ」と深く頷き、静かに声を上げているのが見えるような気がしました。

「絶唱」

私の脳裏に、そんな言葉が思い浮かびました。そう、このプロローグは、まさに「絶唱」と呼ぶにふさわしい、稲盛さんが全人生を傾け、やむにやまれぬ想いで紡ぎ出した、切れば血が噴き出してくるような、命懸けで書かれた文章だ、と感じました。

そして、プロローグに続く各章も、私の人生に計り知れない影響を与えました。その中から、特に私の血肉にまでなった言葉をいくつかご紹介します。

「ど真剣に生きる」
今64歳の私が6年前まで勤めていた会社の社長は、稲盛さんが主宰する若手経営者向けの勉強会「盛和塾」の塾生でした。『京セラフィロソフィ』を愛読し、その精神を自社の行動指針として制定し、毎朝社員に唱和させるほど、傾倒されていました。毎朝、経営企画部メンバーと『京セラフィロソフィ』の勉強会まで行っておられました。やがて、私も出席を命じられ、徹底的に稲盛イズムを叩き込まれました。その時出会ったのがこの言葉です。

この言葉といえば、月次決算の報告を思い出します。私は管理本部長に抜擢していただき、毎月社長に月次報告をしていたのですが、この時の数字に対する厳しさは並大抵のものではありませんでした。

1円でも数字が合っていなければ、私の目を覗き込むように5㎝くらいのところまで目を近づけ、「江戸時代なら切腹だぞ。そのくらいど真剣に取り組め」とドスの効いた声で言うのが常だったのです。
口癖は、「緊張感を持って仕事をしているか」「魂は入っているか」「やっつけ仕事になっていないか」。私は、徹底的に鍛え抜かれました。

「手の切れるようなものをつくれ」
上記の会社に54歳で中途入社した当初、私は、社長直下のマーケティング室で、スーパーで販売されているおつまみの商品パッケージデザインはじめマーケティング全般を担当していました。社長のデザインに対するこだわりは強く、芦屋の洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」のような上質なものを理想としていました。そのため、デザイン案は何度提案してもOKが出ず、発売日が大幅にずれこむことは日常茶飯事で、商談に行けない営業からはいつもクレームを浴びせられていました。

「給料をもらっている以上、きみはプロだ。それでもプロか。プロとして恥ずかしくない仕事をしろ。手の切れるようなものをつくれ」。
当然、私は毎日深夜残業になり、ようやくの思いで作り上げた案を毎回3~5案提案し、それを4回、5回と繰り返し、ようやくOKをもらうのが普通でした。

承認される頃には疲弊しきっているのですが、それだけブラッシュアップを重ねると、社長のおっしゃる通り、目に見えてにデザインが良くなってくるのです。やはり「手の切れるようなものをつくる」という意気込みで、突き詰めて考えないと本当に良いものはできない、とあらためて腹落ちしました。

「誰にも負けない努力をする」
この言葉を初めて目にしたとき、衝撃を受けました。それまで、「人並み以上に頑張っているのになぜ報われないのか。どうしてうまくいかないのか。なぜあいつばかりラクしておいしいところを取っていくのか」と、日々そんなことばかり考え腐っていた私に、鉄槌が下されたような気がしました。

「おまえはそうやって不平不満や愚痴、他人の悪口ばかり言っているが、本当に誰にも負けない努力をしたと断言できるのか」と、いきなり、匕首を喉元に突きつけられたような気がしました。「ブチブチくだらないことを言っている暇があるなら、これ以上誰にもできないと言えるくらいまで努力してみろ」。そう言って、後ろから頭をガーンと殴られ、発破をかけられたような思いでした。

それ以来、仕事がいったん完了すると、私は、頭の中でグルグルこの言葉を回すようになりました。「おまえは本当に誰にも負けない努力をしたのか。圧倒的な努力をしたのか。これ以上できないというところまで努力したのか。」と常に自分を追い込むようになったのです。

「そのくらいの努力ならやっている人は山ほどいる。大谷祥平はもっとやっている。井上尚弥もやっている。藤井翔太も絶対やっている。本当にそこまでやったのか。やってないなら報われなくても仕方がない。まだまだ努力が足りない。文句を言うな」そう思うようにしました。

すると、当然のことながら、不平不満や愚痴、他人の悪口がなくなりました。そりゃそうですよね。そんなヒマがあるならもっと努力しろ、と自分で自分に圧をかけていくのですから。そして、やり抜くだけやり抜いたら、ある意味、結果はどうでも良くなってくると思います。結果が出ればもちろんいいし、もし結果が出なければさらに努力するだけですから。打つ手は無限、結果が出るまで、手を変え品を変え、努力を続けるのみです。それでもどうしても結果が出なかったら?

「神に祈るしかないというところまでやったか」

と自分に問うて、胸を張って「やった」と言えるのであれば、後は本当に神に祈るしかないでしょう。でも、大抵の場合、そこまではやっていないのです。であれば、誰にも負けない圧倒的な努力を積み重ねていく以外、道はありません。Just Do It. それが人生だ。(了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?