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中村屋サロン美術館 開館10周年記念展「中村屋の中村彝」
◎ 中村屋の中村彝
【会 期】2024年8月28日(水)~11月4日(月)
【会 場】中村屋サロン美術館
【特別協力】茨城県近代美術館
(以下、美術館公式web siteより引用)
「1887(明治20)年に、茨城県水戸市に生まれた中村彝は、荻原守衛亡き後の中村屋サロンの中心人物です。
彝はもともと軍人を志していましたが胸部疾患にかかったことからその夢は叶わず、東京の小学校高等科で同級であった野田半三から水彩画の手ほどきを受けたことをきっかけに、絵画の道へ進みます。 本展では、開館10周年を記念して、中村屋サロンの重要画家であり、今年没後100年を迎える中村彝の芸術世界を3つの時代に分けてご紹介いたします。」(official siteから引用)
※中村彝:「没年:大正13.12.24(1924) 生年:明治20.7.3(1887)
明治大正期の洋画家。中村順正の3男。水戸市生まれ。幼時に両親を失い,明治31(1898)年上京し長兄宅で育つ。34年早稲田中学を中退して名古屋地方幼年学校へ入学,37年卒業のち東京の中央陸軍幼年学校に入学したが肺結核のため退校,翌年千葉県北条湊で療養中水彩画に親しんだことが画家を志望する契機となった。39年,白馬会研究所へ通う。ここで中原悌二郎を知り終生交友した。翌年中原を追い太平洋画会研究所へ移る。41年荻原守衛を知り強い感化を受け,レンブラントにも傾倒した。翌年第3回文展に「巌」を出品,褒状を受け画壇にデビュー。43年太平洋画会会員となり,同年の第4回文展に印象派的色彩の濃い「海辺の村」(東京国立博物館蔵)で3等賞を受賞,翌年の第5回文展でも「女」で連続3等賞を受けた。また,44年から淀橋区(新宿)角筈の中村屋裏の故荻原守衛のアトリエへ移り,大正4(1915)年まで住む。この新宿時代は,中村屋夫人相馬黒光と長女俊子への感情,創作上の苦心など,心理的葛藤の最も激しい時期であった。制作上では,俊子をモデルにした「少女」(第8回文展3等賞)などで,ルノワールへの強い傾倒を示す作風を展開,またセザンヌへの関心も示した。その後,「田中館博士の肖像」(第10回文展)などを発表し,官展で最も注目すべき作家とされ,特に大正9年の第2回帝展に出品した「エロシェンコ氏の像」(東京国立近代美術館蔵)は大きな称賛を呼んだ。晩期の作品に「老母の像」などがある。遺稿集に『生命の無限感』。」(朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版より引用)
◎「小女裸像」(中村彝:1914年:愛知県美術館所蔵)
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「17歳の1904年に結核を患った中村彝(1887-1924)は、1906年白馬会洋画研究所に入り、以後病と闘いながらレンブラントやルノワール、セザンヌなどを研究し、自分なりの個性的な表現を追求しました。この作品のモデルは、新宿中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻の長女、俊子です。1911年末から中村屋裏のアトリエに住んでいた彝は、1913年頃から女子聖学院の生徒だった俊子を集中的に描いています。若く健康的な身体の描法にはルノワールの影響が見られますが、唇を結び聡明な眼差しを画家に向ける表情や、生気あふれる頬の赤色などは、彝独自の表現となっています。」(愛知県美術館web siteより引用)
★この作品は、中村屋裏のアトリエで暮らし、中村屋の相馬夫妻にも可愛がられていた中村彝が夫妻の長女を描いだ作品。この作品を中村彝は1914年3月の東京大正博覧会美術展に出品し、高評価を得る。しかし、当時モデルの敏子は15歳。通っていた学校側からの要請で撤去を求められ、相馬夫妻との間にも亀裂が生じることとなったという。この後、中村彝は中村屋裏のアトリエを退去し、日暮里・谷中・下落合と居を移す。その間、中村彝は相馬夫妻に長女との結婚を申し込むが拒絶されたらしい。
※15歳とは思えない眼差しの強さに、モデルの聡明さや意志の強さを感じさせる作品のように感じた。
☆これまで、重要文化財に指定されている「エロシェンコ氏の肖像」(国立近代美術館蔵)は観たことがあったが、これほどまとまった数の中村彝の作品を観たのは初めてだと思う。中村屋ゆかりの画家の1人であることは認識していたが、相馬夫妻との娘・俊子をめぐる亀裂の話は、今回の展覧会で初めて知った。
ルノアールやセザンヌの影響を感じさせる作品も多いが、上にあげた「少女裸像」などでは、マティスに近いような印象を受けた。享年37歳。もっと長く生きていれば、どんな作品を残したのだろう。
※今回のお土産
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