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山形の旅(4)山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館)
※山形県立博物館のお隣の山形市郷土館へ。なかなか印象的なフォルムの建物。もともとここにあった建物ではなく、移築されたもの。建物内部の展示では、山形の医学の歴史を知ることができる。
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★山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館)
場所:山形県山形市霞城町1-1(霞城公園内)
「「旧済生館本館」は、明治11年9月に竣工した擬洋風の病院建築物です。最初は県立病院として使用され、その後、明治21年に民営移管となり、明治37年からは市立病院済生館の本館として使用されました。創建当時は医学校が併設され、オーストリア人医師・ローレツが近代医学教育の教鞭をとったことでよく知られています。
昭和41年12月5日に国の重要文化財に指定され、それに伴い霞城公園内に移築復元の運びとなりました。昭和44年に移築復元工事が完了し、管理棟を付設のうえ昭和46年に「山形市郷土館」として新たに出発しました。
現在、1・2階を一般に公開し、郷土史・医学関係資料を展示しています。」(official site から引用)
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★明治初期に技術は日本のもので西洋風のものを作ったという「擬洋風」建物。松本市の旧開智学校、弘前市の旧五十九銀行本館などと並んで、この旧済生館本館が代表的なものだとか。山形では、山形県令・三島通庸が主導して、1876年(明治9年)から1881年(明治14年)まで5年間に28もの建物が建てられた。その当時、山形は日本を代表するハイカラな街だったに違いない。