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1000日チャレンジ 951日目 「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(若い読者のための科学史)CHAPTER 31 Radioactivity

ゴールまで49日

★BMI:22.8

「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(Bynum, William著;Yale University Press;2012年)を原著で読み進める(全40章)

◎CHAPTER 31 Radioactivity
★主な内容
ヴィルヘルム・レントゲン(1845‐1923)は他の物理学者同様、陰極線管を使った実験を行っていた。彼は1895年11月8日に陰極線管から遠く離れた写真乾板が感光していることに気づいた。多くの科学者は陰極線管から放出される放射線が、そんなに遠くまで飛ぶとは思わず、同じことを経験していたのも関わらずそれを追求しなかった。しかし、レントゲンはその原因に絞って研究を続ける。そしてこの新しい放射線が磁場の影響も受けず光のように屈折することもないことを発見した。彼はこの放射線に未知のものという意味でX線と名をつけた。彼がこのことをすぐに発表すると、たちまちに医療現場への応用が始まった。それから10年ほどの間に、がん細胞を死滅させる効果があることもわかった。この時点では、まだX線の危険性は正しく認識はされず、研究者の中には血液のがんである白血病で亡くなるものもいた。
蛍光の研究者であったフランスのアンリ・ベクレル(1852-1908)は蛍光物質であるウランを使った実験でX線に似た放射線の存在に気が付く。ピエール・キュリー(1859-1906)、マリー・キュリー(1867-1934)夫妻は、2つの新しい放射線元素(トリウムとポロニウム)を発見する。この2つの元素はウランと似た性質をもっており強力な放射線を発することがわかった。彼らは、そこにα線、β線に加えγ線を発見した。そしてウランが鉛に代わるときに放射線が発生すること、つまり、元素が変わるという現象を初めて見出したのだ。夫妻とその娘イレーヌも放射線の研究をして、いずれもノーベル賞を受賞したが、母娘は同じく白血病で亡くなった。
放射性元素は、質量が大きく、原子核がつまっているために不安定になり、自然に放射線を放つ(放射能)を有し、他の元素に代わる「放射性崩壊」を起こすということがわかった。
放射能の研究からは、放射年代測定法は編み出され、化石の年代特定に役立てられている。一方で科学者たちは、放射性崩壊は人為的に引き起こすことができるということにも気が付いた。1930年代になりナチスの台頭によって戦争の危険が迫る中、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミ( 1901-1954)らのグループは、中性子を遅い速度で原子に衝突させることで、理想的な核分裂が起きることを発見した。彼らはナチスと呼応したファシスト党から逃れてアメリカに渡る。彼らのような多くの亡命科学者が、アメリカの原子爆弾開発計画「マンハッタン計画」に参加していく。桁違いの予算の配分を受けて、計画は進行し、ドイツ降伏後の1945年8月に日本の広島・長崎への原子爆弾投下へと突き進んだ。この計画の途上で、核分裂の制御が可能となり、原子力発電の利用にもつながっている。放射線の有効な利用法を理解しつつも、多くの人が恐怖をもっていることも事実である。

★単語
penetrate
;浸透する、pitchblende;瀝青ウラン鉱、emit;放射する、nuclear fission;核分裂、devastating;壊滅的な、brain drain;頭脳流出、fateful;存亡の、破滅的な

★フレーズ
work out
;何とか解決する、take up;吸収する、put aside;~をわきに置いて、無視して

※キュリー夫妻;「(夫)Pierre 1859〜1906(妻)Marie 1867〜1934;ともにフランスの物理学者・化学者。ただし,妻マリーはポーランド出身;共同研究の結果,1898年放射性物質のラジウムを発見し,1903年ノーベル物理学賞をふたりで受賞。ピエールの死後,マリーは金属ラジウムの分離に成功し,1911年にはノーベル化学賞を受賞した。」(旺文社世界史事典 三訂版より引用)

マンハッタン計画の遂行にはアインシュタインからの助言も有効であったとされている。彼らが怖れていたのはナチスが原子爆弾を先に開発することであったが、その事実は実際には無かった。技術を知ってしまった人類がそれを制御できるのか、はこれから先も大きな課題だ。


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