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1000日チャレンジ 739日目 「シンプルな英語で話す世界史」で英語を学ぶ 47.The Ottoman Empire
ゴールまで261日
★BMI:24.5
◎ジャパンタイムズ出版 (2020/5/5)刊「シンプルな英語で話す世界史」(ジェームス・M・バーダマン /松園伸 著)で世界史の復習とともに英語の学習をしていく。
47.The Ottoman Empire
(要約)1453年オスマン帝国は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させ占領した。彼らはここをイスタンブルと改名した。オスマン・トルコはさらにメソポタミア、エジプトに領土を拡大し、イスラームの聖地メッカ、エルサレム、メディナも支配下に置いた。スルタン(皇帝)セリム1世は自らをカリフと称し、ムハンマドの後継者として自らをイスラーム信仰の守護者を任じた。オスマン・トルコの勢力は16世紀スレイマン1世の頃、最盛期を迎えるが、その後、ウイーンやレパント海戦で敗れ、衰退していった。
★strait;海峡、siege;包囲攻撃、holiest;最も聖なる、faith;信仰、troop;軍隊、advance;前進させる
★caliph;カリフ、ムハンマドの後継者;「初期イスラムの最高指導者の称号。アラビア語で正しくはハリーファkhalifa。本来は〈代理者〉〈継承者〉を意味し,632年ムハンマドの没後アブー・バクルが教団の指導者となった時採用された。ウマイヤ朝,アッバース朝,ファーティマ朝などの君主が使用し,政治的な指導者であるスルタンに対して,イスラム共同体(ウンマ)の精神的権威とされた。なお,オスマン朝ではスルタンがカリフを兼ねた時期があった。」(平凡社百科事典マイペディアより引用)
★the Battle of Lepanto;レパントの海戦;「1571年,オスマン帝国艦隊がヨーロッパ連合艦隊に敗れた戦い。オスマン帝国のキプロス征服後,その奪回をめざすキリスト教世界が,教皇・スペイン・ジェノヴァ・ヴェネツィア連合軍を組織。艦船の中心はヴェネツィアだったが,最大の兵員を出したスペインの王弟ホアンが総司令官となって戦い,勝利した。ただし,敗北したオスマン海軍は翌年に同規模の艦隊を再建しており,地中海におけるオスマン帝国の優位は維持された。レパントは,ギリシアのコリント湾内に位置する。」(旺文社世界史事典 三訂版より引用)
◎しばらくヨーロッパ中心だったが、この章から、それ以外の地域の状況が説明されていく。トルコの歴史もほとんど学習した記憶がない。もう少し詳しく勉強しておこう。