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東京都美術館 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」

◎ 田中一村展 奄美の光 魂の絵画
【会 期】2024年9月19日(木)~12月1日(日)
【会 場】東京都美術館
【主催】公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館、NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社
【協賛】DNP大日本印刷、日本典礼
【特別協力】千葉市美術館
【協力】ANA、Peach
【監修】松尾知子(千葉市美術館 副館長)
(以下、公式web siteより引用)
01 最大規模の回顧展!
絵画作品を中心に、スケッチ・工芸品・資料を含めた250件を超える作品で、一村の全貌に迫ります。
奄美で描いた代表作《不喰芋くわずいもと蘇鐵》、《アダンの海辺》はじめ、未完の大作も展示。近年発見された初公開作品も多数出品し、未知の軌跡もたどります。
02 一村ゆかりの地、上野での展覧会がついに実現!
現在の東京藝術大学に東山魁夷等と同級で入学したものの、2ヶ月で退学。
その後は独学で自らの絵を模索した一村。
「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と述べたその機会が訪れます。
03 奄美の文化や自然を体感!
展示空間の中で、一村が魅了された奄美の自然を高精細映像で紹介。
会期中に奄美の文化を紹介する関連イベントも実施します。」

*今回の展覧会はすべて撮影不可だったため、フォトスポットで使用されている作品をピックアップした。

☆田中一村:「昭和期の画家:生年明治41(1908)年7月22日:没年昭和52(1977)年9月11日:出生地栃木県都賀郡:本名田中 孝:学歴〔年〕東京美術学校日本画科(現・東京芸術大学)〔大正15年〕中退
経歴18歳の時にすでに天才児とうたわれ、後援会・賛奨会が結成された。しかし結核を患ったため千葉で療養生活を送る。当時は屏風、ふすま絵、天井画などを描いていた。戦後は川端龍子の主宰する青龍展に出品、昭和22年「白い花」が初入選。のち脱退。30年頃から絵筆1本の旅に。33年当時日本の最南端だった奄美大島に辿り着く。名瀬市でトタン屋根の家に住み、大島紬の染色工として働きながら、熱帯樹や動植物、魚類を描き続けた。60年画業がNHKディレクターらによって掘り起され、遺作約30点による「黒潮の画譜・田中一村展」が全国で開催された。また平成9年鹿児島県名瀬市でその画業を記念して“奄美日本画大賞展”を設立した。」(日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)より引用)

※田中一村『アダンの海辺』(昭和44年(1969):個人蔵)

※田中一村『不喰芋(くわずいも)と蘇鐵』(昭和48年(1973)以前:個人蔵)

★田中一村が全国に知られるきっかけになったのは、1984年のNHK「日曜美術館」での特集「美と風土 黒潮の画譜 〜異端の画家 田中一村〜」だった。私もこの番組を観ており、日本画の枠を超えたこんな大胆な画風の画家がいたのか!と驚いたのを憶えている。その後、数点の作品を美術館で見かけたことはあったが、これだけ多くの作品をまとめて観るのは初めてだった。幼少期から晩年まで年代を追って展示されていたが、とにかく、最初から上手い。その後、独自の画風を模索し、50代で奄美に移住し、亡くなるまで奄美の自然を描き続けた。確かに晩年の作品はダイナミックで魅力的だが、私は30代40代の何気ない花鳥画の美しさにも大きな魅力を感じた。彼は写真にも興味をみっていたようだが、フォトアーティストが白黒写真の中で、赤い傘の少女だけをカラーで写したような、全体が単色の作品のなかに、ぽっと美しい色彩をまとった花や鳥が描かれた作品がとても美しく気に入った。装飾的でもあり、浮世絵的でもあり、グラフィックデザインのようでもあり、とても現代的ともいえる作品たちだった。

※今回のお土産

マルチクリーナークロスとしおりx 2



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