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1000日チャレンジ 997日目 佐賀県立美術館 常設展OKADA-ROOM

ゴールまで3日

★BMI:22.6

★先日、佐賀県立美術館の常設展を観たので記録に残しておきたい。

◎佐賀県立美術館 OKADA-ROOM Vol.29「めでたし、美の交錯」
場所】美術館1階OKADA-ROOM(2号展示室横)
【日程】2023年12月21日(木曜日)~2024年2月25日(日曜日)
(概要)(以下、公式web siteから引用)
「OKADA-ROOMは、佐賀県出身の日本近代洋画の巨匠・岡田三郎助(1869~1939年)を紹介する常設展示室です。
 岡田三郎助は、明治~昭和初期の日本近代洋画壇のリーダーとして活躍し、大きな功績を残した画家です。
 県立美術館では昭和58年の開館以来、近代洋画―なかでも岡田三郎助作品の収集、研究、展示を精力的に行い、その画業と人物の顕彰につとめてきました。
 現在では、晩年の傑作《裸婦》(1935年、佐賀県重要文化財)をはじめ、油彩画や岩絵具作品約30点、デッサンや資料を含めると約170点の岡田三郎助関係資料を所蔵しており、そのコレクションは質、量ともに国内を代表するものとなっています。」
※岡田三郎助 (おかださぶろうすけ)
「生没年:1869-1939(明治2-昭和14)
洋画家。佐賀市に生まれ,4歳のときに上京。東京の旧鍋島藩邸に寄寓し,邸内にあった百武兼行の滞欧作品をみて洋画家を志す。はじめ曾山幸彦の画塾で指導をうけ,後に同郷の久米桂一郎の紹介で黒田清輝を知り,白馬会の創設に参加。黒田の後継者の一人として,同時代の藤島武二とともに官展系洋画家の中心的な存在となる。1897年に渡仏し,パリでR.コランの指導をうけて厳格な画面構成と色彩の重要性を知る。1902年に帰国し,以後,東京美術学校教授として後進の指導にあたる。外柔内剛,温厚篤実の人であったと言われ,作品も性格を反映して温和で平明な印象をあたえるものが多い。作品主題の中心は裸婦ないし女性像で,繊細な描法と甘美な色彩をもつ。《あやめの衣》(1927),《坐裸婦》(1937)などは,色彩表現の巧者の一面をいかんなく発揮した代表作である。1937年第1回文化勲章を受章。」(株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」より引用)

★感想
大好きな画家の一人、岡田三郎助の大きなコレクションがあるということで、ずっと行きたかった佐賀県立美術館にようやく訪問することができた。いわゆる外光派あるいは印象派の影響は受けつつも、アカデミックなしっかりした描写に若干の装飾性も感じる、そんな和洋折衷的な微妙なバランスがとても心地よく感じる作品。やはり女性像が素晴らしいが、今回初めて観た『富士山(三保にて)」で富士山の冠雪に映る陽の光の表現がとても美しくしばらく見とれてしまった。まだまだたくさんのコレクションをお持ちのようなので、展示替えの機会に再訪したい。

◎岡田三郎助『富士山(三保にて)』(1920年:佐賀県立美術館蔵)

『富士山(三保にて)』(1920年:佐賀県立美術館蔵)

◎岡田三郎助『花野』(1917年:佐賀県立美術館蔵:佐賀県重要文化財)

『花野』(1917年:佐賀県立美術館蔵:佐賀県重要文化財)

◎岡田三郎助『裸婦』(1935年:佐賀県立美術館蔵:佐賀県重要文化財)

『裸婦』(1935年:佐賀県立美術館蔵:佐賀県重要文化財)

◎岡田三郎助『薔薇』(1931年:佐賀県立美術館蔵:佐賀県重要文化財)

『薔薇』(1931年:佐賀県立美術館蔵:佐賀県重要文化財)

◎岡田三郎助アトリエ
(概要)(以下、公式web siteから引用)
「岡田三郎助は、明治41(1908)年から昭和14(1939)年まで、現在の東京都渋谷区恵比寿で暮らし、制作に打ち込みました。
アトリエは、明治41年頃に、自宅に隣接して建てられた木造の洋風建築で、大正時代にはアトリエに接続する形で「女子洋画研究所」部分が増築されました。
岡田没後、アトリエと女子洋画研究所の建物は、公私にわたり親交が深かった洋画家の辻つじ永ひさしに受け継がれ、辻家の人々によって今日まで大切に守られてきました。往年の姿を保ったまま現存する近代洋画家のアトリエとしては、国内最古のものといわれています。
佐賀県ではこの建物を「岡田三郎助アトリエ」として佐賀県立博物館東隣に移設・復原し、平成30年4月1日公開開始しました。
「岡田三郎助アトリエ」は、主に3つの部屋から成っています。
・アトリエ(53.14平方メートル)
 岡田三郎助がアトリエとして使用し、数々の名作を制作した部屋です。
 南側には、応接室(14.3平方メートル)が付属しています。
・女子洋画研究所(39.66平方メートル)
 岡田が主宰した画が塾じゅく「女子洋画研究所」の教室として使用された部屋です。
 ここから、多くの女性画家たちが巣立っていきました。」

★感想
明治~大正のモダンな雰囲気が建物の外観、そして室内から感じ取られるアトリエだった。壁紙などは復原時に残存していた壁紙を手掛かりに再現したものとのことだが、ウイリアム・モリスのデザインを参考にしたという壁紙が部屋の雰囲気にマッチしていて、こんな風だったのかと思わせてくれる。現在も増築部分を一般に貸し出しており、私が訪ねた際も、地元の女性たちが絵画の制作をされていた。

岡田三郎助アトリエ
岡田三郎助アトリエ室内
岡田三郎助アトリエ室内


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